JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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ライティングの時代

英語教育の分野に入って今年で28年目。これまでセミナーを受けたり、いろいろな先生に話を聞いたりして、自己研鑽を積んできました。そして、最近感じるのは、そろそろライティングの時代がやって来るという予感です。
そんな折、昨年の英語EXPOのゲストだった福島範昌さんから新刊が送られてきました。タイトルは『英語の頭で書ける本』(ジャパンタイムズ)です。福島さんは、名前が「のり」だけあって、このところ「のりに乗って」います。力がある人だけに、いい本を連発しています。この本も英語的発想で書くコツを伝授するマニュアルとしてロングセラーになることでしょう。
本の帯に「英語らしい英語を書くための3原則」がのっています。(1)具体的なイメージがわくように書く、(2)「1文1情報」の原則で書く、(3)日本語をかみ砕いて情報を整理する、とのことです。
インターネットが普及してからというもの、英語教育を取り巻く環境が一変しました。今日求められている英語力は、膨大な量の情報を短時間でチェックし、短時間で自分が言いたいことをまとめ、発信する能力です。本当の英語能力が問われる時代に突入しようと、いや突入しました。
28年間も同じ分野で仕事をして来ると、これまで見えていなかった流れが体で分かる感じがしてきました。これまでの数々の誘惑を断り、この道一筋でやってきて本当によかった! 

運動会

今日は一樹くんが通うわかば幼稚園の運動会でした。妻は朝4時ごろから台所で働き始め、何か異様な雰囲気で一日が始まりました。実は、私は子供のころから運動会が大嫌いでした。理由は、足が遅いこと、ダンスが苦手なこと、本番であがってしまうことでした。当初は、今日は東京からのゲストがあり、昼間にお弁当を食べに行くだけの予定だったのです。ところが、ゲストが急に帯広に来れなくなり、朝から運動会に行くことになりました。
こんな日に限って、暑いこと暑いこと。27度? 勘弁してほしい天気でした。なにせグランドで見ているだけで、肌がヒリヒリ焼けてくるのが分かりました。周りには若いお父さんやお母さんがいっぱい。同年輩の人もいましたが、家族構成を考えるとおじいちゃんとおばあちやんでした(ショック)!
一樹くんは「もも」組、徒競走が始まりました。やはり私に似て足は遅いようです。続いてサンバのリズムに合わせて踊っています。これまたリズム感がいまいちでした。やっぱり一樹は私の子だ、と変なところで確信してしまいました。一番恐れていたのが親子での競技。アキレス腱でも切ったらどうしょう(?)、なんて心配していたのですが、それほど激しいものではなく一安心。オセロゲームとボールの又転がしゲームでした。
それにしても暑い運動会でした。お弁当は、我が家に戻り中庭で食べることにしました。そして、午後のプログラムは私はキャンセルして、自宅で下の子の面倒を見る選択をしたのですが、これが大誤算。「泣いて、泣いて、泣いて・・・」とまるで演歌の世界でした。
午後2時、一樹が大声で「金メダルをもらった!」と大声で叫びながら帰ってきました。「すごい!」と褒めてやると、妻が小声で「みんな金メダルなの」とのこと。私の時代の運動会と言えば、必ず普段目立たない子が張り切る日でした。そして、私はいつも鉛筆しかもらえなかったのですが、今の子供は全員平等(?)に扱われているようです。でも、これでいいのでしょうかねぇ?

タスマニア

昨日の相原正明さんの「スライド&トーク」には20名を越える生徒が集まってくれました。相原さんの軽快な語りとオーストラリアの美しい風景に癒された人も多かったことと思います。
今回のスライドの中でもかなりの枚数を割いていたのがメルボルンの南にある小島、タスマニアでした。タスマニアの緯度は北海道と同じくらいにあり、島の大きさも北海道をやや小さくしたくらいです。人口は州都のホバートが19万人、タスマニア島全体では47万人といいますから、北海道の人口の10分の1程度と考えることができるでしょう。
実は、私はオーストライアに行った経験が一度しかないのですが、その一度がこのタスマニアでした。平成10年のクリスマスシーズン、忘れもしない新婚旅行でした。季節がちょうど逆ということで、夏の奇妙なクリスマスを体験することができました。
タスマニアと言うと、相原さんのトークからも分かるように、通常は自然や動物の話題が中心になります。でも実は、タスマニアはシドニー、メルボルンと並んで,豪州開拓時代の古い歴史を持っているのです。それを物語るのが1830年にポートアーサーに設置された流刑監獄の存在です。もともと初期の移民は英国からの流刑者だったのですが、豪州においてさらに罪を犯した者がここに囚人として再度送られてきたという歴史があります。
ホバートから北にヘリテージ・ハイウエイが走っています。この沿道にある数々の古くて小さな町が最高です。特に中心街にあるホテルはレトロそのもので、とにかく泊まってみたいという衝動にかられてしまいます。しかも、ほとんどの町にはアンティークショップがあり、いい味を出しているのです。そして、田舎の割にはレストランのレベルが高くとても驚きました。
「そのうちもう一度ヘリテージ・ハイウエイのホテルを訪ね、写真集にして出したい」と相原さんに言うと、「私はもうその企画は立てています!」と言われてしまいました。さすがプロ。お目が高い! やっぱり、考えたら即実行でなければならないですよね、どの分野でも。

ホリエモンがプロレスに参入

またまた信じられないニュース、いやこの人ならやっぱりというニュースが飛び込んできました。ホリエモン、今度はプロレス業界参入です!
と言っても、ホリエモン自らがタイツをはきプロレスラーになるわけではありません。7月19日に実施されるプロレスの新イベント「dragon door」と提携するというのです。このイベントはウルティモ・ドラゴンが「闘龍門」(プロレスの団体)時代に育てた選手たちが中心となり、後楽園ホールで旗揚げ戦を行う予定になっています。
私は知る人ぞ知る、大のプロレス隠れファンです(これじゃ、隠れファンでなくなる?)。なにせそのファン歴は力道山のときからですから、そのへんにいる若僧のプロレスファンとはケタが違います。力道山、豊登、アントニオ猪木、・・・、そして今は小川直也。これまで、自慢じゃないですが(と言いながら自慢している!)、タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンと夕食をともにしたこともあるという輝かしい経歴もあります。ところで、2人とも紳士でした。
実はこのプロレス業界も不況風が吹いています。K1やプライドなど、より過激な格闘技にお株を奪われているのです。そんな状況下、ライブドアが資金面や同社特有のIT技術でdragon doorを優良ソフトに仕立てようとしているのでしょう。ホリエモンが行くところ、マスコミが注目し、それゆえ話題が話題を呼び、そして活性化する。私も注目しています!

バラが咲いた

今日は過ごしやすい一日でした。そして、我が家でも待望のバラが咲きました! 「バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが」なんて歌っていたのはマイク真木ですが、いまだにこの歌を歌っているのでしょうか?
花の季節になってから、それまで元気がなかったおふくろが俄然張り切りだしました。先日は、なんと生意気(?)にも、花壇に花を植えようとしていた私に向かって、「久は何もできないねー」なんて言い出しました! ところで、ジョイの入り口やカウンターに花が飾られるようになりました。おふくろが1週間に2回ほど来て、入れ替えています。花は全て庭で栽培したものです。
私も52歳。この年になって、生活にも変化が現れ始めています。「庭いじりなんてジジイ臭い」なんて考えていましたが、やり始めるとこれが精神的にいいのです。花や芝生に水をやったり、周囲をほうきで掃除するのも気持ちをリフレッシュさせてくれます。このままガーデニング大好き人間に突入なんてことになるかもしれません。
日々の仕事に追われ、週末もなく働いている私ですが、たまには立ち止まることも必要なようです。今週末に東京からゲストがまた来る予定でしたが、キャンセルになりました。そうです、またバラを買いに行こう! そして、真っ赤なバラでも咲かせましょう。これで私の人生もバラ色? なんちゃって。

日韓TOEICスコア比較

今日はTOEIC運営委員会からアシスタントマネジャーが訪ねてきました。その際もらった資料の中で、私が特に注目したものを紹介します。それは日本と韓国の平均スコアの比較です。今や韓国でもTOEICは英語能力テストとしてその地位を確立しています。この数字は2002年から2003年のデータです。その数字から分かることは、日本と韓国の英語力の差が歴然としてきたということです。
リスニングの平均スコアでは、日本が251点に対し韓国は283点。リーディングでは、日本は200点しかとれていませんが、韓国は254点と、54点もの差ができています。トータルでは、日本451点で韓国は537点というのですから、情けなくなってしまいます。TOEICのスコアからレベルを推測できない人のために、目安を紹介しましょう。
レベルA:860点以上(Non-Nativeとして十分なコミュニケーション能力を持っている) レベルB:860〜730点(どんな状況でも適切なコミュニケーションが出来る素地を備えている)レベルC:730〜470点(日常生活のニーズを充足し、限定された範囲内では業務上のコミュニケーションが出来る) レベルD:470〜220点(通常会話で最低限のコミュニケーションが出来る)
つまり日本はレベルD、そして韓国はレベルCにランクされます。昇進・昇格にこのTOEICスコアを必須とする制度が日本企業の間に広ま ってきました。私が以前勤めていた松下電器産業では、主任になるためには2001年度から450点以上を要求しています。つまり、極端な話をすると、日本人の平均スコアでは松下の主任にはなれないのです。
機会があれば韓国の英語教育もぜひ見に行きたいものです。私が書いた英会話の本が5冊も韓国で翻訳されているのですから、もしかしたらVIP待遇で迎えてくれるかもしれません(?)。ぜったい行ってこの目で見てくるぞー。

祭りの後

「ゆかいな仲間たち」が終わりました。イベントの後に疲れがドッとくるものです。昨日はゲストの皆さんを空港に送った後、自宅に戻り12時間も寝てしまいました。そして、結局、ブログも書けませんでした。
参加者からのコメントが届いています。一部を紹介したいと思います。
(1)久しぶりに授業をうける立場に身をおくことが出来ました。こんご自分の中でどのように質的変容がなされたのか楽しみです。久保野先生のお話は英語教育を通して平和な国際社会を構築する実践。田尻先生は生徒一人ひとりのくらしに立脚した英語教育の可能性。菅先生は教育現場から文科省への殴りこみ? 高橋先生は三人の先生方の教育実践の理論的分析と日本の英語教育の新たな実践的課題。と自分なりにとらえました。(帯広、学習塾経営)
(2)自分の今置かれている状況のせいか、私にとっては今回は「ゆかいな仲間たち」の先生方の言葉が精神面ですごく感銘する内容でした。特に、最後のジョイント・トークのところでは、思わずメモをとりたくなる言葉がたくさん。「教師ってなに?」「教育ってなに?」「授業って?」「生徒って?」ということをすごく考えさせられました。司会(メイン?)をされた小畑先生の笑いを誘う部分は同じ関西人の私も驚きでした(帯広の人たちにも受けてましたね)が、教育のお話も鋭かったですね。(大阪、中学教師)
(3)普段聞けないような貴重なお話を沢山お聞きできて、心底行って良かったと思います。一日で一年分の勉強に値するものでした。すごい諸先生方の面々で、学校に戻って後輩に報告すると大変驚いていました。技術的なことは当然ながら、あそこにいらした先生方は教育に対しての情熱や一生懸命さを感じます。やはり、情熱を持って行動していらっしゃる方は目が違うなと感じました。ビリビリと熱いものが伝わります。また、肩書きなどに関わらず、すごくフランクに、にこやかな雰囲気で、お話して頂いた事にも感銘を受けました。(釧路、大学院生)
ところで、吉田拓郎の曲に「祭りの後」というのがあります。イベントの後に漂う寂しさ、秋でもないのにセンチメンタルになってしまいました。

元気の素

今回の「ゆかいな仲間たち」は主催が実行委員会ということで、ジョイは場所を提供するだけだったはずなのですが、気がつくとスタッフとして働いている自分がいました。私はとにかく心配症なのでしょうか? それともただのおせっかいなのでしょうか? 
1番バッターで中嶋洋一先生の代打、筑波大学付属駒場中高等学校教諭の久保野雅史先生は、実力派でした。それにしても、さすが東大に入る生徒が多い高校だけあり、生徒のレベルの高いこと。こんなところで教えるのは、神経がすり減りそうです。
2番手に登場した超人気講師の田尻悟郎先生には、テレビ局が同行してきました! なんと全国放送されるそうです。と言うことは、少なくともジョイA館203号室のサインがたくさん書かれた「英語の壁」は全国に紹介されることになります!
3番手は、高校教師から文部科学省教科書調査官に転身した菅正隆さん。これまでの楽しい話術に文部省ネタが加わり、かなりパワーアップされていました。ヒゲの調査官として日本の英語教育を変えて欲しいものです。
トリの高橋一幸先生(神奈川大学助教授)は、3人の話をうまくまとめてくれました。そして、今年3月まで講師を勤めていたNHKラジオ「新基礎英語 I 」で使ったチャンツをちゃんつと使ってのセミナーは好評でした。
それにしても圧巻だったのは、ジョイント・トークの司会、小畑壽さんです。この人は何なんでしょうか? まるで大阪の芸人。本職は数学の先生ということですが、もう少し英語を勉強してもらうと、英語界の新しいスターになれるかもしれません。
「ゆかいな仲間たち」からたくさん元気の素をもらいました。稚内、函館、別海、紋別などから70名程度の中学・高校・塾の先生などが集まりましたが、半分は十勝以外からの参加者でした。十勝ももっとがんばらなくちゃ!

炉端のあかり

今日は「ゆかいな仲間たち」の御一行10名が、東京そして大阪から帯広入りしました。夜は田尻さんや菅さんの希望で、「炉端のあかり」での飲食となりました。ここは本州から来るゲストにとって一番人気の店です。
ところが、地元では意外と知らない人が多いのには驚きます。この店の周辺はまるでレトロの世界です。最近、昭和村とか大正村みたいな商業集積が流行していますが、この一角は作り物ではなく本物そのものです。店に一歩入ると創業50年という歴史がそこにあります。壁には所狭しとこれまで訪れた歌手や俳優の写真が飾られています。細川たかしや長山洋子はいいのですが、浜田省吾とヒゲの殿下の写真がなぜか場違いな感じがするのは、私だけでしょうか?
この店のお薦めの一品は、めんめ(キンキ)から作るスープです。とにかくこれは絶品です。魚を焼いて何十年というおばあちゃん、そしてその娘さんが絵になります。とにかくここは異空間なのです。そして、気をつけなければならないのは値段です。とにかく「20万両!」なんて叫ばれると、いくら払っていいか分からなくなってしまいます。
今回は私を含め12名で炉端のカウンター席を占領しました。おいしい焼き魚を食べ、楽しいお酒を飲み(なぜかここでは黙っていても私にはサイダーが出てきます!)、ダジャレいっぱいの会話を弾ませる。これ以上の夜はありませんね。いよいよ明日が本番です。でも、こんなに飲んで大丈夫かな?

悪循環

いつものCD店に行ってきました。もちろんお目当てはジャズのセクション。ところが、行くたびに棚が寂しくなっています。理由は、やはり売れないからなのでしょう。売れないから在庫を置けなくなる。在庫が少ないから魅力がなくなり、さらに売れなくなる。悪循環です。
最近は私の周囲でもインターネットでCDを買う人が増えてきました。これは既存のCD店にとっては大きな脅威だと思います。もうひとつの敵は、やはり大型店です。札幌や釧路には、郊外型の巨大な大型店があります。インターネットと大型店がこの分野をリードし始めたという構図は、ちょうど本屋さんと同じです。
私はとにかくCD店で時間を過ごすのが好きです。でも、店内に大音響で流れるチャリチャリした音楽には参ります。さらに嫌いなのは、店内を歩くといろいろな音楽が混ざってくるあの瞬間です。とにかく私には耐えられません。若者たちは携帯電話にお金を使いすぎて、CDを買えなくなったと言われています。そんなときに大事にしなければならないのは、私たちの世代なんです。静かなCD店をぜひ作ってください!
私が理想とするCD店は、むかし帯広にあった「サウンド・コーナー」です。小さくてもセンスのいい品揃え、そしていろいろ情報をくれるマスターがいる。もうそんなCD店は過去の話でしょうか? 寂しくなりました。それにしてもこの悪循環を断ち切らなければなりません。その対策のひとつは、やはり店員さんがジャズをもっと知ることです。期待していますよ、ネットショッピングが”技術的に”まだできない私は。

観光ガイド

今日の私は観光ガイドを勤めました。お客さんは、お世話になっている出版社に以前勤めていたHさんとお母さん。半日コースということで、「豊頃ハルニレの木コース」を選びました。
9時に2人をホテルでピックアップ、一路豊頃へ。まずは朝日堂でドーナツを買わなければ、このコースは始まりません。ところで、ここのご主人の岡本さん(元ジョイの生徒)は、占いで有名だということを知っていますか? Hさんは、今月末に嫁ぐ予定ということで、ビクビクしながら占ってもらうことになりました。岡本さんからの「大丈夫。相性はいいよ!」の言葉に、Hさんはご機嫌の様子。
その後、私の友人が経営するスーパー「アグリ」で缶コーヒーをゲット(注意:缶コーヒーでなければダメ。これが私のこだわりです)。これで準備完了。カーステレオから流れる神山純一さんが作曲した「はるにれの木」を聞きながら、はるにれの木へ。この木の持つ魅力でしょうか、2人ともそこを動こうとしません。お母さんは、野原に座り込んでしまいました。そよ風の中でドーナツを食べながら(3つも!)、ゆっくり木を眺めている姿がとても印象的でした。
そこへ観光バスに乗った帯広からの一団が到着。ワイワイガヤガヤ、木のところに来るなり「うれしい!」『木のパワーをもらいたい!」なんて言いながら木に抱き始めました。でも、5分もしないうちにみんな帰っていったのです! 価値観に違いに愕然としました。こんな素晴らしい環境も、人によっては思い入れが違うようです。
「こんなところで本を一日ゆっくり読みたい!」というお母さんの言葉からいいヒントをもらいました。そのうち「ハルニレの下で読書の日」というイベントを提案したいと思います。自分が好きな本とイスを持参し、はるにれの木の周囲でゆっくり本を読むのです。疲れた目をはるにれの木が癒してくれることでしょう。もしこの企画が実現したら、みなさんも一緒に行きませんか? やるなら、やっぱり読書の秋でしょう。
私がコーディネートした半日コースは、帯広に戻り豚丼で終了しました。2人はきっと帯広ファンになって東京に戻ったはずです。

菅正隆

「英語教育・ゆかいな仲間たち」の仕掛人、菅正隆先生(私は「菅さん」と呼んでいます)との出会いは1996年に開かれた北海道英語教育フォーラムでした。ジョイB館のバッキーホールは演芸場に早変わりし、異様な雰囲気に包まれていました。コテコテの大阪弁を話す男(菅さんは岩手県の出身ですが、大学が大阪でした)が笑いを誘っていたのです。当時はまだ大阪府立長吉高校の現役の先生でした。
菅さんのやることはとにかくスケールが大きいのです。教室から国際電話をかけたり、落語家を呼んで来たり、パエーリャを作ったり。でも、確実に英語嫌いの生徒の心を動かし始めていました。笑いあり、涙ありの、それはそれは強烈な英語クラスでした。
その後、大阪府教育委員会に入り教員研修などを担当していました。昨年、中学・高校教師向けセミナーの講師として大阪に呼んでもらった際、私は菅さんの違った側面を見てしまったのです。それは「きめ細かな配慮」「人に対する思いやり」でした。「ゆかいな仲間たちを帯広で!」という話が出たのは、そのときのことです。
今年の3月末に菅さんから届いたメールには驚かされました。大阪府教育委員会を辞め、文部科学省に入るとの内容でした。こんなに文部科学省を身近かに感じたことはこれまでありません。今回の「ゆかいな仲間たち」のサブタイトルは「6月11日帯広で何かが変わる!」です。菅さんには、帯広だけでなく、日本の英語教育を何か変えてくれそうな「悪寒」、いや「予感」がします。

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