JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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トータス・クラス

毎週火曜日の朝は、車に乗り帯広市内のブティックに出かけます。と言っても、そこで買い物をするのではなく、英会話の出張レッスンのために行くのです。このクラスが始まったのは1981年ですから、なんと24年間もやっていることになります。そして、現在参加している7名の婦人の平均年齢は70歳ぐらいでしょうか。中には80歳という方もいることが今日判明し、私自身とても驚きました。
24年も私が教えているのですから、「さぞレベルも高いのでは?」という質問がきそうです。実は、レベル的には社会人コースのステップ1ぐらいでしょうか。亀さんのようにスローなクラスということで、「トータス・クラス」というニックネームがついています。これまで初級者向けのテキストというテキストはほとんど使いました。次のテキスト選びが最大の悩みというクラスは、ここしかありません。
なぜ、いつまでたっても初級脱出ができないのか? それは私の指導にも問題があると思うのですが、やはり大きいのはモティベーションだと思います。だからと言って、「あなたはなぜ英語をやりたいのですか?」なんて鋭い質問をしたことはありません。
このクラスを始めたとき、私は27歳か28歳ぐらいだったと思います。まだまだ帯広のことも分からない、独身のお兄ちゃんでした。トータス・クラスの生徒は英語では私の生徒ですが、人生では私のよき先生です。帯広・十勝のこと、仕事のこと、人間関係のこと、本当にいろいろなことを教えてもらいました。しかも、授業料をもらいながら教えてもらったのですから、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
最近、トータス・クラスの生徒さんと接して分かったことがあります。みなさんが年齢の割には、とても若くて頭の回転がはやいということです。そうです。英語は国際コミュニケーションの道具であるとともに、脳の活性化に大きな役割を果たしているのです。つまり若さの秘訣は英語だったのかもしれません。

独立記念日

3月21日は私にとってとても特別な日です。それはジョイの授業が始まった日、つまり私の独立記念日ということになります。近所に貼った手書きのポスターには、大きく赤い文字で「3月21日授業スタート」と書かれていました。
開講日まで私は生徒を集めるだけで精一杯でした。校舎(教室1つ、待合室1つ、他は私の住居)もなんとか完成し、いよいよ運命のその日がきたのです。しかし、教えるほうの準備はまったくできていませんでした。使うテキストさえ決まっていなかったのです。当時は学校の教科書を入手しようとしても、市販されていませんでした。まして、小学生用の英会話の本などは、世の中に必要とされる時代ではなかったのです。そんなことから、しばらくは自主教材を使うことにしました。自主教材と言えば聞こえはいいのですが、手動のタイプライターで打ってコピーしたものです。
教材以上に問題だったのが、教えるということです。私は家庭教師の経験はあったのですが、複数の生徒の前で教えたことがありませんでした。どんなスタイルで教えたらいいのか、まったく分からなかったのです。開講日、ジョイの歴史に残るようなメッセージを生徒に伝えたいと考えました。しかし、「ジョイは英語塾じゃない、だから英語塾とは呼ばないで!」程度のことしか言えませんでした。
こうしてジョイはちょうど27年前の今日スタートしたのです。あの頃は毎日が無我夢中でした。仕事の規模はそれまで勤めていた松下電器のそれとは比べようもないほど小さいものでしたが、日々の充実感はありました。もちろん、給料も松下のときの月額12万円から5万円に下がりましたが、お金はまったく問題ではありませんでした。自分がやりたい仕事ができる喜びの方がずっと大きかったのです。今日は私の独立記念日、あの頃の自分に乾杯!

カルビー

農業王国、十勝に再び激震が走りました。製菓大手カルビーの子会社カルビーポテト(本社・帯広市)が、ポテトチップスの原料となるジャガイモの種イモを、国の検査を受けないまま契約農家に譲渡してしまったというのです。北海道警は同社や東京のカルビー本社などを植物防疫法違反容疑で家宅捜索。数年前の雪印問題を思い出させるようなスキャンダルに、驚いた人も多かったと思います。
もう15年以上も前のことになりますが、カルビーから通訳の仕事をもらったことがあります。アメリカからの大学教授とともに、帯広をはじめ北海道各地に点在する工場を回わりました。ポテトに関する通訳は初めてだったので、とにかく専門用語が分からず苦労したことを覚えています。「なんぷ」と言われ、それが「なんぷ」のことかちんぷん「なんぷ」んで、困まりました。それは「軟腐」(soft rot)というポテトが腐る病気のことでした。
あのとき各地で話を聞いた農家の方々、貯蔵施設で働く人びと、技術者の人たちが「白いポテトチップを作るのは大変なんです」と口をそろえて言っていたのが印象的でした。ポテトチップスは私の大好物です。食べる側の私は色まで気にしたことはなかったのですが、そんな細かいところまで配慮できるのがカルビーが業界NO.1である所以だ、と私は勝手に解釈したものです。
安全な食文化を育てる先進地としての「十勝ブランド」が確立しつつあるときに、この問題は大きな波紋を広げそうです。雪印しかり、なんと間が悪いのでしょうか。今後このようなことが起こらないように、十勝の食材は本当に安全なのか、多方面から徹底的に検証する必要があるのかもしれません。それが明日の十勝の発展につながるはずです。

卒業式

帯広コンピュータ・福祉専門学校の卒業式に出席してきました。実は、私は開校した1986年から6年間、前身の帯広コンピュータ専門学校で英会話を担当したことがあります。印象的だったのは理事長の神山恵美子(こうやま・えみこ)さんの式辞でした。用意したスピーチをそのまま読むのではなく、ときには顔を上げ卒業生、父母、そして来賓の目を見て語りかけていました。これはなかなかできることではありません。
私もこれまで小学校から大学院まで卒業式を経験していますが、鮮明に覚えているのは小樽商大での式だけです。もう35年前のことになりますが、それはそれは衝撃的でした。
当時の小樽商科大学には、なぜか卒業アルバムがありませんでした。だから、私はそれを自分で作りました。タイトルは「我が青春は小樽とともに」。4年間撮りためた写真をアルバムに収め、それぞれのページに合うようにいろいろな音や音楽をテープに編集しました。小樽駅での列車のアナウンス、東京ロマンチカが歌う「小樽の人よ」のメロディが流れ、仲間たちの声も入っている力作です。それに実方学長の言葉も入れようと、式にテープレコーダーを持参しました。
学長の挨拶が始まり、私は不思議な瞬間を経験することになります。なんと学長のある言葉が繰り返し頭の中で響いてきたのです!「風雪に耐えて、大地に根ざした大樹となれ。けっして箱庭や鉢植えの枝ぶりのいい盆栽となるな」。その後の人生の指針となるような言葉に、卒業式で出会うことができたのは本当に幸運でした。もちろん、卒業アルバムのテープはエコー付きのこの言葉で締めくくられています。

短大人気

最近、短大の人気が回復しているそうです。やっぱり私のボーリング場理論(?)は正しかった! なんて言いながらひとりで喜んでしまいました。少し前までは、全国の短大は苦戦していると聞いていたのですが、昨年春には5年ぶりに実際の入学者が定員を上回り、定員割れ状態が解消したそうです。
そうそう、私のボーリング場理論なるものを説明しましょう。全国的にボーリングがブームになり、中山律子さんをはじめたくさんのスターが登場したときのことを覚えているでしょうか? ゲームをやるために何時間も待たされたという人も多いはずです。当時、私は高校生でした。
ところが、その後、ボーリング場が乱立。当然のことのようにブームは去り、たくさんのボーリング場が経営難に陥り閉鎖されました。しかし、この困難な時期に生き延びたボーリング場は、現在でも地道な発展を遂げているのです。帯広ではスズランボールがその例です。これからブームが再燃したとしても、新しいボーリング場を作る人はいないでしょう。つまり一番強固な経営基盤を築くということになります。
同じことが短大に関しても言えます。大学の冬の時代に生き残るために多くの短大が4年制を目指しました。昨年の春の時点で私立短大の数は400校でした。この10年余りで100校近く減った計算になります。これから短大を作りたいと考える人はいるでしょうか? いないと私は断言します。つまり短大がボーリング場と同じ状態になったのです。
この4月より地元の帯広大谷短期大学では、これまでの日本語日本文学科が名称を変更し、総合文化学科として生まれ変わります。この学科では、日本文化コースと比較文化コースがあり、私も比較文化コースで「英語表現1」という講座を担当することになりました。地元の短大で私は英語界の中山律子さんを目指したいと考えています。

晴山陽一

晴山陽一さんを知っているでしょうか? 「いつかジョイの英語EXPOに来た先生ですね」という人は、ジョイ通。「あの毎月のように英語学習書を出版している人ですね」という人は、かなりの英語通。そして、私のおじさんは神経痛です。
昨日、晴山さんから新刊の『英語は動詞で生きている!』(集英社)が送られてきました。いや、正確には、晴山さんの計らいで集英社から謹呈本として送付されてきました。早速、メールで晴山さんにお礼を書くと、今朝、近況とともに返事が届きました。そして、驚くことに、なんとまた今日も最新刊『仕事の会話100ーすぐに英語で言えますか?』(角川書店)が送られてきたのです。同じ著者から連日著書が謹呈されたという経験は、私は初めてのことでした。
私もこれまで14冊、英会話本を中心に出版してきましたが、本を1冊出すたびにしばらく寝込みました。それほど体力と神経を消耗する仕事です。なにせ世に出すのですから、当然と言えば当然でしょう。そんな大変なことを、この晴山さんは月1冊のペースでこの数年やっているのです。英語界で著作だけで食べている人は、晴山さん以外にはいないのではないでしょうか? 少なくとも私は知りません。
最近、出版界の雰囲気が変わってきました。特に英語学習書は乱立ぎみで、初版部数の減少、重版の難しさ、などとても厳しい状況が続いています。一時は、帯広のような地方都市に住む私のような者にまで、東京の出版社から電話がかかってきたものです。「うちから次の本を出してもらえませんか?」。でも、そんなリクエストはまったく来なくなりました。今では以前のように、企画書を送り、興味を持ってくれそうな出版社を捜しています。
そんな中にあって、晴山さんの快進撃は続いています。晴山さんの一番の強みは、元々編集者だったということです。ということは、極端な話をすれば、英語学習書以外の本でも書けるということです。ひとつのテーマを決め、独特の切り口を見出すことができれば、あとは作業を進めるだけなのかもしれません。事実、仕事術に関する本も出しています。
晴山さん、これからもがんばってください。そして、くれぐれも体をこわさないように。次の本が届くのを楽しみにしています。まさか明日は来ないですよね?

授業評価

先生という人種は、生徒を評価するのは仕事の一部と考えていますが、逆に評価されるということにはかなり抵抗があるようです。そういう私も例外ではありません。そして、今日届いた郵便物の中に小樽商大からの大きな封筒を見つけました。いよいよ来たぞ、とドキドキしながら封を開けると、やはり小樽商大専門職大学院(ビジネススクール)の学生からの評価でした。
質問は教員の教授法に関するもので、11項目に分かれています。その中で、「E-learningシステムは適切に活用されていましたか」「黒板やOHP、パワーポイントの字や図は見やすかったですか」は、私の場合は「不使用」ということで評価対象外でした。残り9項目のうちの6項目で7名の学生全員が「強くそう思う」の評価「5」をつけてくれました。特に「あなたは友人や後輩にこの授業を薦めたいと思いますか」と「あなたはこの授業に満足しましたか」で、全員から「5」をもらえてとても安心しました。
一方、評価が一番低かったのが、「授業はシラバスに沿っていましたか」というところです。「4」が2人、「3」が1人いました。これは厳しい! あれでもかなりシラバス通りやっていたのですが・・・。「デイスカッションは適切に運営されていましたか」で「3」が1人、「課題の設定と授業の関連は適切でしたか」で「4」が1人いました。全般的には、上出来だったのではないでしょうか。
その他、気がついたこと、感想などが書かれていました。「生徒に対する姿勢がすばらしかった」「それぞれの英語のレベルに合わせた取り組みがされていた」「新しいトレーニング法を学んだ」「この授業を通して英語の必要さ、楽しさを学んだ」「相当いろいろな英語授業を受けてきましたが、BESTです」「非常に考えられたバランスのよい授業でした」「このような授業は広く学部でも利用されるべきだと思います」などなど、肯定的な意見が多かったようです。
ただ、ひとつだけ疑問が投げられていました。「学生の発言等は積極的だったので、話すそばから文法や表現の間違いを直すという方法もありうるのではないでしょうか?」。ウーン、私はこれまでその場で直すというのは、コミュニケーションを途中でストップさせてしまうので、やめた方がいいと理解してきました。ただ、最近カナダ留学から帰ってきた生徒は、通っていた英語学校で間違うたびに「主語は?」『〜の過去形は?」というように直されたのがよかった、との意見。自分の教え方を再考する機会をもらえるのが、授業評価の本当の意義なのかもしれませんね。

ふるさと

私のふるさとは十勝管内豊頃町です。帯広から車で1時間程度のところですが、実家も今はないことからそれほど頻繁に行くことはありません。今日は親友で町内で一番大きなスーパーを経営する高橋敏典くんのお母様のお葬式があり、朝7時30分に自宅を出て豊頃に向かいました。彼とは小学生の頃からの遊び友だちで、そして勉強ではライバルでした。彼の家はスーパー、そして私の家は電器屋。場所的にも道路をはさんでほとんど真向かいだったこともあり、毎日のように行き来していました。
車窓から見えた十勝平野の朝の景色は、大地から空まで真っ白。カメラにおさめたいような気分になりました。私が中学を卒業するまで過ごした茂岩市内は、新しく改装した店は多くなったのですが、昔の賑わいはまったくありません。人が集まっているところと言えば、人気のラーメン店「ざぼん」とドーナツで有名な「朝日堂」ぐらいです。
お葬式では、懐かしい顔がそろっていました。小学校時代の同級生で農業をやっている松崎文一くんは、小学生になる孫がいるとのことです。ウーン、これには参りました。私はかなり遅れをとっているようです。52歳ともなると、多くを語らなくてもお互いの人生が分かり合えるような感じがします。
見送りの際にした高橋くんのお礼の挨拶が心に響きました。「私の両親は貧乏のどん底から働いて働いて這い上がってきました。その姿を見ながら、私たちも歯をくいしばりがんばってきたのです!」。坂の上の食料品店で忙しく働く彼の両親の姿が目に浮かびました。合掌。
何年たっても私のふるさとは豊頃町しかありません。浦幌町との合併話も消え、豊頃町は独自の道を探り始めています。ホッとしているには私だけではないのではないでしょうか。ふるさとの名前がなくなるのは寂しいことです。豊頃は、みんな貧乏だったけれど、「豊かな頃」を思い出させてくれます。

豚丼

ついに帯広の豚丼が全国区になったような気がします。2人の仙台からのお客を帯広駅で迎え、昼食に何を食べましょうかと聞くと、「私たち何でも食べます!」。私は「豚丼、そば、手作りソーセージ」と帯広を代表するランチメニューをあげると、彼女たちが選んだのは「豚丼」でした。
シーズンオフということで、今日あたりは元祖「ぱんちょう」でも並ぶことなく食べれるかと思いましたが、あいにく休み。結局、駅構内にある「ぶたはげ」に入りました。ここの豚丼は個人的には好きな方ですが、これまでは「豚肉はおいしいけれどライスがいまいち」というのが私の評価でした。でも、今日は豚肉もライスも両方グー。2人のお客さんも、すっかり気に入ったようです。
帯広には「ブタドン・コム」 ( http://www.butadon.com)という豚丼サイトがありますが、これは一見の価値があります。最近の話題の中でおもしろいのが「豚丼ソング」登場というものです。千葉県在住の女性3人組ロックバンド「チャームスベイビーズ(愛称・チャンベビ)」が制作したもので、たった一杯で心が温まるという女性の気持ちが表現されているそうです。ぜひこの曲は聴いてみたたいですね。FM-JAGAで流れる日を楽しみにしています。
そうそう、ジョイには先生たちで作る「豚丼クラブ」があります。これは十勝各地の豚丼を食べ歩くというもので、これまでの一番人気は清水町の「韋駄天」だそうです。ここは炭焼きで、豚肉の臭みがなく、柔らかくて、ちょうどいい厚さ、と言います。次に清水町に行くときは、そばの「目分量」ではなく、これは「韋駄天」に決まりですね。

AERA English

「アエラ」は日本を代表する週刊誌ですが、私も10年ほど前にインタビューされたことがあります。そのときの十勝に対するコメント、「冬はカリフォルニア」が記事の中で使われました(残念ながら、私の名前は出ていませんでしたが・・・)。その「アエラ」が、昨年12月にこれまでの英語学習者向けの雑誌とはひと味もふた味も違う「AERA English」を創刊しました。今では全国で8万部が売れているそうです。でも、帯広での定期購読者はまだまだ少ないようで、噂によると2名とのことでした。そのひとりは私ですが、もうひとりは誰なのでしょうか?
「AERA English」にビジネス英語で有名な杉田敏さんが、「杉田敏のビジネス英語クリニック」という人気コラムを持っています。これは毎回各分野から3人の回答者を迎え、「お題」に対するそれぞれの答えに杉田さんがコメントを加えたり、回答者からの質問に答えるというものです。
その回答者として出てみないか、という誘いが以前から来ていました。でも、このコラムのサブタイトルは「上級者と学ぶ」、しかもこれまでの回答者の経歴(半分以上が海外の大学院修了!)を見るたびに、正直尻込みしていました。しかし、覚悟を決め、勇気を出して、そして新しいスーツまで買って、挑戦して来ました。ちなみに今回は「英会話学校の経営者編」で、私以外は2人とも東京の方でした。詳しくは7月号に載る予定ですので、ぜひ買って見てください。帯広で立ち読むしようと思っても、それは難しいかもしれません。
座談会は約2時間ほどでしたが、杉田さんのパワーポイントを使っての解説が見事でした。そのまま公開でやるとおもしろい英語イベントになるのではと思っていると、なんと来週の21日には六本木ヒルズで「杉田敏のビジネス英語クリニックLIVE!」が実現するそうです。さすが東京ですね。詳しくは、http://www.academyhills.com/school/language/seminar/aera050321.html へ。そのうち、この企画は帯広でもやりたいものです。

睡眠

あなたは一日何時間ぐらい睡眠をとってきますか? 私は平均すると6時間ぐらいでしょうか。ジョイを始めた頃は、深夜の1時か2時頃まで起きていて、朝は10時前に起きることがないような生活をしていました。しかし、年々忙しくなり、結局、切り詰めることができるのは朝の時間ということで、今では6時には起きています。もちろん、年のせいで遅くまで眠ることができなくなったのかもしれません(眠るためには体力がいるそうですよ)。
ここに面白い調査があります。これはアジア、ヨーロッパおよびアメリカ合衆国の28の国および地域の1万4千百人が参加した世論調査です。その中でアジア人の40%が深夜0時過ぎに就寝するという結果が出ました。アメリカ合衆国の34%、ヨーロッパの32%に較べて驚きの数字です。そして、睡眠時間が最短なのが日本人でした! 41%の人が一晩6時間か、それ以下の睡眠時間で暮らしているといいます。
人々が就寝時間を遅くしつつあるという証拠は、私たちの身の回りにあるようです。深夜の娯楽から夜通しのオンラインショッピングまで、日本人の生活も激変しました。
対照的に、オーストラリア人の就寝時間は最も早く、睡眠時間は世界最長だそうです。オーストラリア人の24%が午後10時前には床につき、31%が一晩の平均睡眠時間は9時間以上と答えたそうです。私はオーストラリアへは一度しか行ったことがありませんが、大都市のシドニーのナイトライフも健全ムードいっぱいでした。それにお世話になったオーストラリア人の家族も「早寝遅起き」が徹底していました!

床屋から学ぶ

今日の午前中は床屋さんに行ってきました。実はこの床屋さんと私は運命共同体みたいなものです。なにせ長い付き合いで、高校時代の3年間、そしてジョイを初めてからの27年間、計30年間もここに通っています。つまり人生の半分以上も同じ床屋さんで髪をカットしているのです。
小学・中学生のときは別として、大学生だった4年間と松下電器で就職していた2年間は、まさに苦悩の連続でした。なにせ気に入った床屋さんに巡り会えなかったのです。若い頃から地味だった私には、どうも激しい音楽が流れるような若向けのバーバーは合いません。かと言って、田舎チックな床屋も苦手です。そして、店の雰囲気だけでなく、実際に髪をカットしてくれる人にも好みがあります。気軽な世間話を楽しむのが好きなのですが、おしゃべりな人は嫌いです。
そんなことから私が世界で一番気に入ったのが、緑ヶ丘の住宅街にある「カットハウス・スズキ」です。完全予約制で、ご主人の鈴木さんがひとりでやっています。当然、鈴木さんが必ずカットしてくれる訳です。イスに座ると、何も言わないでも季節に合わせて髪の長さを調節して切ってくれます。そして、今日のように眠たいときには、決して余計な会話はしません。この鈴木さんが入院して3ヶ月ほど店を休んだことがありますが、この時は最悪でした。
これまで、私はこの床屋さんに何回足を運んだのでしょうか? 月に1度行くとして、360回ということになります。ザッと計算して、これまで100万円以上も散髪料を払ったことになります。「いつまでも元気に仕事をしてくださいね。鈴木さんがやめたら行くところがないのだから」なんて言いながら、今日も店を後にしました。ジョイも生徒のみなさんにとって、こんな床屋さんのような存在になれればいいのですが・・・・。

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