JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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筆ペン

今日はある会議で書道家の八重樫恵一先生に久しぶりに会いました。お互い時間があるということで、お茶でも飲もうということになりましたが、最近は市内で喫茶店を捜すのは至難の業になったようです。結局、ホテル・ノースランドのラウンジへ行き、そこで興味深い話をいろいろ聞くことができました。
私が八重樫先生の書と初めて出会ったのは、3年前の高校英語スピーチコンテストのときでした。審査委員席に「浦島久」と、私の好みの逆筆法で書かれたネームプレートが置かれていました。あまりにもかっこよかったので、コンテスト終了後、主催者の方に「これもらっていっていいですか?」と聞くと、「あそこに書いた人がいるよ」との声が返ってきたのです。それが八重樫先生でした。知り合って2・3週間後、帯広の文化奨励賞を受賞した八重樫先生の顔が大きく十勝毎日新聞に載りました。
私は52歳になりますが、時代をかなり先取りしていたらしく、長年マンガ字を書いています。マジックやボールペンでならとても見やすい字なのですが、筆字となると最悪。とにかく自分でも情けなくなるような字なのです。
そんな私への八重樫先生のアドバイスは、「普段から筆ペンで遊ぶのがいい」ということでした。何度も何度も書いているうちに慣れていくのだそうです。そして、もうひとつのアドバイスは、「うまい字を書こうとするのではなく、個性のある字を書くのがいい」とのことでした。片岡鶴太郎はあの独特の絵と文字で有名ですが、彼はわざわざ左手を使って書いているそうです。ウーン、これはいい話でした。目指そう、英語界の鶴太郎!

アドリブ英会話

夜7時からの私の特別セミナーに、11名の生徒が参加してくれました。今回取り上げたテーマは「アドリブ英会話」。これは小樽商科大学ビジネススクールでの講義のために、私が考案した新しい英会話教授法です。
アドリブ英会話という名前はまだ正式なものではなく、仮につけているものです。一般的な会話クラスでは、ダイアログをどのように使っているのでしょうか? 単に読むだけで済ませたり、逆にかなりの時間をかけ丸暗記させたりする場合もあるようです。でも、この世の中でテキストのダイアログ通りに話が展開するのは、入国審査のときぐらいかもしれません。新しい方式では、ダイアログの一部を利用することで応用力をつけ、より実際のコミュニケーションに近い状況で練習することができます。
具体的にこのアドリブ英会話のやり方を説明しましょう。AとBのダイアログを練習する際、よく両方を練習させる先生がいます。私は片方しか練習させません。その人になりきるためです。ペアで5分間(クラスの生徒の英語レベルにより変える)会話練習をして、その後、テキストを見ないで他の生徒の前で感情を込めよりリアルにスキットを披露してもらいます。この際に強調するのは、暗記する必要はないということ、そしてお互いに流れをつかみ協力して会話を進めることが大事だということです。
セミナーでは、ビジネススクールで撮ったビデオを例として見てもらいました。今日集まった生徒はとても飲み込みが早く、相手が台詞を忘れると助け舟を出す人もいました。もしかしたらこのアドリブ英会話が全国的に広まる日が来るかもしれません。そんな日を夢見て、私はアドリブ英会話の伝道師として普及に力を入れて行きたいと考えています。

日本校

テンプル大学という大学を知っているでしょうか? 「ああ、仏教大学のことですね?」なんていうのは古典的なギャグです。テンプル大学ジャパンから、今日、一枚のはがきが届きました。 この2月に日本の文部科学省より「外国大学の日本校」として正式に指定されたとのことです。
テンプル大学はアメリカのペンシルベニア州に5つのキャンパスと、ロンドン、ローマ、東京をあわせて8つのキャンパスがあります。そして、現在、約29,000名の学生が在籍しているという全米で39番目に大きな大学です。テンプル大学ジャパンは1982年に開校したといいますから、もう23年もの歴史があります。全国各地にアメリカの大学の日本校ブームが起きたときのことを覚えている人も多いでしょうが、今ではほとんどが撤退してしまったそうです。
私も東京麻布にあるテンプル大学ジャパンを見学に行ったことがありますが、外国人学生や帰国子女がたくさんいて、雰囲気は日本の大学とは大違いでした。授業は当然すべて英語で行われていて、キャンパスがビルの中ということを除けば、そこはアメリカの大学そのものです。そんなアメリカで長い歴史と実績がある大学が、これまで日本の文部科学省から認められずに、専門学校扱いされていたことが私には不思議でたまりません。
外国大学の日本校として指定を受けたのは、テンプル大学ジャパンが初めてとのこと。これにより、学生の日本の大学院への入学、日本の大学との単位互換などが正式に認められることになります。それ以上に学生にとって嬉しいのは、各種交通機関に学割がきくようになったことかもしれません。

夢舞台

大杉正明、遠山顕、マーシャ・クラッカワー、杉田敏。ご存知のように、NHKラジオおよびテレビの英語番組で圧倒的な人気を博している講師のみなさんです。この4人のトークショーが3月26日(土)東京アメリカンクラブで開かれました。会場には全国各地から100名を超えるファンが集結。「まさに夢のトークショーですね!」という声が会場のいたるところで聞かれました。
私も一般参加者として(参加費は、パーティー代込みで1万円・・・さすが、東京ですね!)行きたいと考えていたのですが、杉田さんから私に司会の依頼がありました。こんなチャンスは二度とないと考え、「やります!」と即答。私も度胸がよくなったものです。もちろん、4人ともジョイのイベントに何度も来てもらったことがあること。そして20周年記念に3人(大杉、遠山、杉田)を招き、帯広で「英会話スーパーシンポジウム」を開いたことがあったからの決断でした。
当日は1時間10分という限られた時間でしたが、4人がこれまで実践してきた英語の学習法をユーモアたっぷりに披露してくれました。事前の打ち合わせ通りには最初から進みませんでしたが、それはさすが百戦錬磨のベテランのみなさんです。全てを笑いに変え、夢のトークショーはあっという間に終わりました。
終了後、何人かの参加者から「料理はおいしくて、トークショーもおもしろくて、講師の先生とも写真を撮ることができて、1万円の価値は十分ありました!」という感想を頂きました。多くの参加者が同じ気持ちだったと思います。こうして夢のトークショーは、私にとっては生涯忘れることができない夢舞台になりました。
この日の模様は、「アエラ・イングリッシュ」(4月23日発売、6月号)で紹介されることになっています。たぶん、私の顔は写真には出ていないとは思いますが、向かって左端に座った杉田さんの横には私がいたのです!

別れの季節

3月は別れの季節です。今日は、2年間ジョイで勤務してくれたハンス先生とアリソン先生の送別会が開かれました。ランチタイムにはスタッフとともに、そして夜は生徒が集まり別れを惜しみました。
彼ら2人に対する思い出と言えば、それはなんといっても愛児ニコラスちゃんの誕生でしょう。ジョイの外国人講師として、初めての当地での出産という快挙(?)をこの2人は成し遂げました。英語が流暢なお医者さんがいるはずもない、そして医療システムも違うこの異国の地でお産をしたのですから、アリソン先生は勇気がある人です。個人的には、それに関わる保険請求業務の煩雑さにはほどほど参りました。
ハンス先生は生まれたのはドイツですが、お父さんの仕事の関係でタンザニア、カメルーン、英国、フランス、韓国などで住んだことがあるという国際人です。ことばもドイツ語、フランス語、英語のトリリンガルで、その語学の才能を生かし、ジョイでもフランス語とドイツ語の講座を開講してもらいました。
2年間のお礼に何か特別なことをしたいと私は考えていました。そして、明日帯広でライブを予定している元センチメンタル・シティ・ロマンス(30年前に人気があった実力派のバンドです)のリーダーでリードボーカルの中野督夫さんと2人のミュージシャンに飛び入りでパーティーに参加してもらい、2曲歌ってもらいました。特に2曲目の「ふるさと」という曲は別れの日にピッタリの選曲でした。
ジョイ恒例の日本語による別れのスピーチでは、「帯広にあって東京にないものは豚丼と雪かき」とハンス先生は話していましたが、雪かきが恋しくなったらいつでもジョイは歓迎します。なにせ最近の帯広は雪が多い! 東京でも豚丼の店ができているようですが、豚丼はやっぱり帯広! いつでも豚丼を食べに帰ってきてください。ありがとう。そしてGood luck!

目標20冊!

『やさしい英語で自分を語る』増刷の知らせがジャパンタイムズから届きました。この本はジョイの25周年を記念して2002年に書いた自信作です。出版から2年半、今回で5刷目、累計で8,300部になります。
私の初めての著書は1985年に出した『英会話質問帳』(ジャパンタイムズ)でした。ビジネス英語で有名な杉田敏さんとの共著で、杉田さんが当時32歳だった私にデビューの切っ掛けを作ってくれました。その後、杉田さんとは、『ビジネス英語Basic500』(ジャパンタイムズ、1987)、『NHKやさしいビジネス英語リスニング・チャレンジ30』(NHK出版、2001)の2冊を共著で出させてもらいました。この世で、杉田さんとの共著を持っているのは、私だけだと思います。私は幸せ者ですね。
私の本の中で一番売れたのは、『自分を語る英会話』(クライド・ダブンポートとの共著、ジャパンタイムズ、1992)です。これは1分スピーチを使った中級者向けの本で、なんと4万部以上が売れています。しかも、国内だけでなく台湾、韓国で翻訳され出版されました。帯広で出筆した本が外国の学習者に使われているのですから、これは感動ものです。その他にも『ビジネス英語Basic500』、『英会話・ビジネスマンの一日』、『英会話お決まり表現160』が韓国で出版されています。もしかしたら、私は韓国の英語界では有名人なのかもしれません。
生涯に1冊の本を出すのが私の夢だったのですが、幸運にもこれまで14冊も出すことができました。私の著書の特徴は、発売と同時に爆発的に売れることがないということです。いくつかの本が地道に売れ続け、結果的にロングセラーになっています。
ここまできたら、目標は生涯20冊! これは並大抵の努力では実現しません。なにせこれから6年間、1年に1冊のペースでやらなければならないのですから。でも、チャレンジしてみますか。人生は一度だから。

トータス・クラス

毎週火曜日の朝は、車に乗り帯広市内のブティックに出かけます。と言っても、そこで買い物をするのではなく、英会話の出張レッスンのために行くのです。このクラスが始まったのは1981年ですから、なんと24年間もやっていることになります。そして、現在参加している7名の婦人の平均年齢は70歳ぐらいでしょうか。中には80歳という方もいることが今日判明し、私自身とても驚きました。
24年も私が教えているのですから、「さぞレベルも高いのでは?」という質問がきそうです。実は、レベル的には社会人コースのステップ1ぐらいでしょうか。亀さんのようにスローなクラスということで、「トータス・クラス」というニックネームがついています。これまで初級者向けのテキストというテキストはほとんど使いました。次のテキスト選びが最大の悩みというクラスは、ここしかありません。
なぜ、いつまでたっても初級脱出ができないのか? それは私の指導にも問題があると思うのですが、やはり大きいのはモティベーションだと思います。だからと言って、「あなたはなぜ英語をやりたいのですか?」なんて鋭い質問をしたことはありません。
このクラスを始めたとき、私は27歳か28歳ぐらいだったと思います。まだまだ帯広のことも分からない、独身のお兄ちゃんでした。トータス・クラスの生徒は英語では私の生徒ですが、人生では私のよき先生です。帯広・十勝のこと、仕事のこと、人間関係のこと、本当にいろいろなことを教えてもらいました。しかも、授業料をもらいながら教えてもらったのですから、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
最近、トータス・クラスの生徒さんと接して分かったことがあります。みなさんが年齢の割には、とても若くて頭の回転がはやいということです。そうです。英語は国際コミュニケーションの道具であるとともに、脳の活性化に大きな役割を果たしているのです。つまり若さの秘訣は英語だったのかもしれません。

独立記念日

3月21日は私にとってとても特別な日です。それはジョイの授業が始まった日、つまり私の独立記念日ということになります。近所に貼った手書きのポスターには、大きく赤い文字で「3月21日授業スタート」と書かれていました。
開講日まで私は生徒を集めるだけで精一杯でした。校舎(教室1つ、待合室1つ、他は私の住居)もなんとか完成し、いよいよ運命のその日がきたのです。しかし、教えるほうの準備はまったくできていませんでした。使うテキストさえ決まっていなかったのです。当時は学校の教科書を入手しようとしても、市販されていませんでした。まして、小学生用の英会話の本などは、世の中に必要とされる時代ではなかったのです。そんなことから、しばらくは自主教材を使うことにしました。自主教材と言えば聞こえはいいのですが、手動のタイプライターで打ってコピーしたものです。
教材以上に問題だったのが、教えるということです。私は家庭教師の経験はあったのですが、複数の生徒の前で教えたことがありませんでした。どんなスタイルで教えたらいいのか、まったく分からなかったのです。開講日、ジョイの歴史に残るようなメッセージを生徒に伝えたいと考えました。しかし、「ジョイは英語塾じゃない、だから英語塾とは呼ばないで!」程度のことしか言えませんでした。
こうしてジョイはちょうど27年前の今日スタートしたのです。あの頃は毎日が無我夢中でした。仕事の規模はそれまで勤めていた松下電器のそれとは比べようもないほど小さいものでしたが、日々の充実感はありました。もちろん、給料も松下のときの月額12万円から5万円に下がりましたが、お金はまったく問題ではありませんでした。自分がやりたい仕事ができる喜びの方がずっと大きかったのです。今日は私の独立記念日、あの頃の自分に乾杯!

カルビー

農業王国、十勝に再び激震が走りました。製菓大手カルビーの子会社カルビーポテト(本社・帯広市)が、ポテトチップスの原料となるジャガイモの種イモを、国の検査を受けないまま契約農家に譲渡してしまったというのです。北海道警は同社や東京のカルビー本社などを植物防疫法違反容疑で家宅捜索。数年前の雪印問題を思い出させるようなスキャンダルに、驚いた人も多かったと思います。
もう15年以上も前のことになりますが、カルビーから通訳の仕事をもらったことがあります。アメリカからの大学教授とともに、帯広をはじめ北海道各地に点在する工場を回わりました。ポテトに関する通訳は初めてだったので、とにかく専門用語が分からず苦労したことを覚えています。「なんぷ」と言われ、それが「なんぷ」のことかちんぷん「なんぷ」んで、困まりました。それは「軟腐」(soft rot)というポテトが腐る病気のことでした。
あのとき各地で話を聞いた農家の方々、貯蔵施設で働く人びと、技術者の人たちが「白いポテトチップを作るのは大変なんです」と口をそろえて言っていたのが印象的でした。ポテトチップスは私の大好物です。食べる側の私は色まで気にしたことはなかったのですが、そんな細かいところまで配慮できるのがカルビーが業界NO.1である所以だ、と私は勝手に解釈したものです。
安全な食文化を育てる先進地としての「十勝ブランド」が確立しつつあるときに、この問題は大きな波紋を広げそうです。雪印しかり、なんと間が悪いのでしょうか。今後このようなことが起こらないように、十勝の食材は本当に安全なのか、多方面から徹底的に検証する必要があるのかもしれません。それが明日の十勝の発展につながるはずです。

卒業式

帯広コンピュータ・福祉専門学校の卒業式に出席してきました。実は、私は開校した1986年から6年間、前身の帯広コンピュータ専門学校で英会話を担当したことがあります。印象的だったのは理事長の神山恵美子(こうやま・えみこ)さんの式辞でした。用意したスピーチをそのまま読むのではなく、ときには顔を上げ卒業生、父母、そして来賓の目を見て語りかけていました。これはなかなかできることではありません。
私もこれまで小学校から大学院まで卒業式を経験していますが、鮮明に覚えているのは小樽商大での式だけです。もう35年前のことになりますが、それはそれは衝撃的でした。
当時の小樽商科大学には、なぜか卒業アルバムがありませんでした。だから、私はそれを自分で作りました。タイトルは「我が青春は小樽とともに」。4年間撮りためた写真をアルバムに収め、それぞれのページに合うようにいろいろな音や音楽をテープに編集しました。小樽駅での列車のアナウンス、東京ロマンチカが歌う「小樽の人よ」のメロディが流れ、仲間たちの声も入っている力作です。それに実方学長の言葉も入れようと、式にテープレコーダーを持参しました。
学長の挨拶が始まり、私は不思議な瞬間を経験することになります。なんと学長のある言葉が繰り返し頭の中で響いてきたのです!「風雪に耐えて、大地に根ざした大樹となれ。けっして箱庭や鉢植えの枝ぶりのいい盆栽となるな」。その後の人生の指針となるような言葉に、卒業式で出会うことができたのは本当に幸運でした。もちろん、卒業アルバムのテープはエコー付きのこの言葉で締めくくられています。

短大人気

最近、短大の人気が回復しているそうです。やっぱり私のボーリング場理論(?)は正しかった! なんて言いながらひとりで喜んでしまいました。少し前までは、全国の短大は苦戦していると聞いていたのですが、昨年春には5年ぶりに実際の入学者が定員を上回り、定員割れ状態が解消したそうです。
そうそう、私のボーリング場理論なるものを説明しましょう。全国的にボーリングがブームになり、中山律子さんをはじめたくさんのスターが登場したときのことを覚えているでしょうか? ゲームをやるために何時間も待たされたという人も多いはずです。当時、私は高校生でした。
ところが、その後、ボーリング場が乱立。当然のことのようにブームは去り、たくさんのボーリング場が経営難に陥り閉鎖されました。しかし、この困難な時期に生き延びたボーリング場は、現在でも地道な発展を遂げているのです。帯広ではスズランボールがその例です。これからブームが再燃したとしても、新しいボーリング場を作る人はいないでしょう。つまり一番強固な経営基盤を築くということになります。
同じことが短大に関しても言えます。大学の冬の時代に生き残るために多くの短大が4年制を目指しました。昨年の春の時点で私立短大の数は400校でした。この10年余りで100校近く減った計算になります。これから短大を作りたいと考える人はいるでしょうか? いないと私は断言します。つまり短大がボーリング場と同じ状態になったのです。
この4月より地元の帯広大谷短期大学では、これまでの日本語日本文学科が名称を変更し、総合文化学科として生まれ変わります。この学科では、日本文化コースと比較文化コースがあり、私も比較文化コースで「英語表現1」という講座を担当することになりました。地元の短大で私は英語界の中山律子さんを目指したいと考えています。

晴山陽一

晴山陽一さんを知っているでしょうか? 「いつかジョイの英語EXPOに来た先生ですね」という人は、ジョイ通。「あの毎月のように英語学習書を出版している人ですね」という人は、かなりの英語通。そして、私のおじさんは神経痛です。
昨日、晴山さんから新刊の『英語は動詞で生きている!』(集英社)が送られてきました。いや、正確には、晴山さんの計らいで集英社から謹呈本として送付されてきました。早速、メールで晴山さんにお礼を書くと、今朝、近況とともに返事が届きました。そして、驚くことに、なんとまた今日も最新刊『仕事の会話100ーすぐに英語で言えますか?』(角川書店)が送られてきたのです。同じ著者から連日著書が謹呈されたという経験は、私は初めてのことでした。
私もこれまで14冊、英会話本を中心に出版してきましたが、本を1冊出すたびにしばらく寝込みました。それほど体力と神経を消耗する仕事です。なにせ世に出すのですから、当然と言えば当然でしょう。そんな大変なことを、この晴山さんは月1冊のペースでこの数年やっているのです。英語界で著作だけで食べている人は、晴山さん以外にはいないのではないでしょうか? 少なくとも私は知りません。
最近、出版界の雰囲気が変わってきました。特に英語学習書は乱立ぎみで、初版部数の減少、重版の難しさ、などとても厳しい状況が続いています。一時は、帯広のような地方都市に住む私のような者にまで、東京の出版社から電話がかかってきたものです。「うちから次の本を出してもらえませんか?」。でも、そんなリクエストはまったく来なくなりました。今では以前のように、企画書を送り、興味を持ってくれそうな出版社を捜しています。
そんな中にあって、晴山さんの快進撃は続いています。晴山さんの一番の強みは、元々編集者だったということです。ということは、極端な話をすれば、英語学習書以外の本でも書けるということです。ひとつのテーマを決め、独特の切り口を見出すことができれば、あとは作業を進めるだけなのかもしれません。事実、仕事術に関する本も出しています。
晴山さん、これからもがんばってください。そして、くれぐれも体をこわさないように。次の本が届くのを楽しみにしています。まさか明日は来ないですよね?

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