JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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芸術家

私は子どものときから工作を作ったり、絵を描いたり、字を書いたりするのは苦手でした。しかし、私の家系の中で、おやじの芸術的なセンスを引き継いだのが、一人だけいます。それは私の妹の娘、佐竹真紀です。豊頃出身で、三条高校から北海道教育大学の芸術学部に進み、同大学の修士課程を修了し、現在は札幌の芸術の森で働いています。
その彼女から、先日、うれしいメールが入りました。彼女のビデオ作品「インターバル」が東京ビデオフェスティバル2006で優秀賞30作品のうちのひとつに選ばれたというのです。このフェスティバルは日本ビクター(株)が主催する国際的なビデオ映像の祭典で、今年で28回目になります。今年は、世界35の国と地域から2,291 作品(国内910作品、海外1,381作品)が寄せられたそうです。
本フェスティバルのサイト(http://www.jvc-victor.co.jp/tvf/)をチエックすると、優秀賞30の作品の半数は、アメリカ、イギリス、フランス、中国、韓国、台湾といった海外の作品でした。興味がある方もない方もぜひこのサイトで佐竹真紀の作品を見てください。写真とビデオを融合した不思議な作品です。2月18日には、「優秀作品賞」の中から「ビデオ大賞」「日本ビクター大賞」(各1作品)が選出されます。
実はもう一人、家系の中に芸術的な才能がありそうなのがいます。それは私の長男の一樹です。5歳にして、段ボールやペットボトルなど身の回りの物を使い、毎日一作品を完成させています。30年後はどんな偉大な芸術家(?)になるか楽しみです。何? 私は生きてないだろう? 確かに、そうかもしれませんね。

オリンピック

女子ボブスレー選手、桧野真奈美さん(元ステップ2D)のトリノ五輪代表が内定しました! やったー、おめでとー、がんばってー、メダルもトリノー、・・・。なんていろいろな声援が飛んでいます。その桧野さんが今夜8時ごろジョイに顔を出してくれました。
今回はアジア枠での五輪出場となり、日本女子としては初の快挙です。桧野さんの競技は2人乗り。そして桧野さんは重要な役目のパイロットです。オランダ人コーチとの英語での会話のため、ジョイに通っていました。きっともうコミュニケーションもバッチリと思いきや、それがそれが大変そうです。私に言わせると、桧野さんにも問題があるのでしょうが、そのオランダ人コーチの英語力もクエッションマークかもしれません。
私がボブスレーのことを初めて知ったのは、32年前、小樽商科大学での「財務管理」の授業までさかのぼります。非常勤講師として札幌商科大学から坂井種次(現在、札幌学院大学教授)という若い先生が来ていました。この先生は、授業よりもボブスレーの話になると、とにかく熱が入るのです。理由は、なんとインスブルク五輪にボブスレーの選手兼監督として参加していたのでした。
実は、坂井先生とは今もつき合わせてもらっています。久しぶりに電話を入れると、ジョイのメールニュースで桧野さんの五輪出場のことを知っていて、とても喜んでいました。積もる話がありすぎて、結局、今週の土曜日に札幌で会うことになりました。
そうそう、桧野さんがジョイの生徒として初のオリンピック選手だと思ったら、もう一人いたのでした。それは長野五輪にカーリングで出場した瀬口選手です。いずれにせよ、桧野さん、本当におめでたいことです。なお、A館・B館カウンターに「募金箱」を設置しました。みなさんご協力よろしくお願いします。集まったお金は、1月30日(月)午後8時20分ジャスト、桧野さん本人に渡すことになっています。この日授業のある生徒のみなさんは、バッキーホールに集合してください! 授業のない方ももちろんOKです。みなさんで声援を送りたいと思います。

世界の中の日本

午前中、帯広大谷短期大学の授業を担当してきました。これは北方圏センター帯広国際センターの高橋幹夫館長(元帯広市長)が担当する「国際交流論」の一環の授業で、そのゲスト講師として招かれたものです。
テーマは「世界の中の日本」。それを90分で話すというのですから、正直、何を話していいか分かりませんでした。いろいろと考えた末、私にとって世界との初めての接点になったヨーロッパ一人旅の話をすることにしました。それは私が大学4年生、21歳のときにした3ヶ月、1日5,000円の貧乏旅行でした。
まず、ヨーロッパの地図に私が回った12ヶ国に番号を付けた用紙を渡し、その国名を学生に書いてもらいました。案の定、なかなか国名が分かりません。当時の私も同じでした。旅行して初めてそれぞれの国の位置が頭に入りました。こんなものなのですね。
最初の国となったフランスから最後のイギリスまで、それぞれエピソードをひとつずつ紹介させてもらいました。資料となったのは、当時つけていた日記です。生まれて始めた書いたその日記はカビ臭く、32年という年月を感じさせました。また、旅行中に撮ったカラー写真はもうセピア色になりつつあります。
でも、久しぶりに日記を読んで、「社会に出る前に度胸をつけたい!」という目標に向かい必死で旅行していた自分を発見することが出来ました。イタリアで騙されたこと、スペインで警察にお世話になったこと、全てが今やセピア色の思い出です。ユーミンの「あの日にかえりたい」が心の奥底に流れ始めたときに、90分の持ち時間が終了しました。こんな機会もいいものです。高橋さんに感謝。でも、「世界の中の日本」とは少しかけ離れていたかな? 

カウントダウン

今週の1月20日で、「浦島久の玉手箱」がついに開設1周年を迎えます。正直、こんなに毎日続けることができるとは考えてもいませんでした。高校時代は「現代国語」で常に苦労していましたし、大学時代はレポートを書くのが大の苦手でした。ジョイを始めてからも、今だにフォーマルな文を書くときは凍ってしまいます。
それがこの1年間365日のうち326日も(このまま休むことなく書いたら)ブログを書いた計算になりますから、これはすごいことです。打率で言うと、約9割ということになります。始めた頃は、なかなかスタイルが定まらず、休む日が多かったこと。後半は出張などが入ることが多く、そんな日は書けなかったこと。そんな理由から、この結果になりました。でも、本人としてはほとんど毎日書いていたような気分です。
ブログを続けて思ったのは、やはり読んでくれている人がいるという実感が原動力になるということです。書いてもコメントが入らなかったり、少ない日は、「何のためにこんなことやっているの?」と寂しくなることもありました。ブログは公開日記です。自分のためだけに書くのであれば、ブログでなくてもいいのです。幸い、私のブログには平均3名の方からコメントをもらっています。書いてくれるのは、ほとんどがレギュラーの方ですが、たまにまったく知らない、それも九州や外国から入ったりして驚きました。
ブログを書いての一番の収穫は、「今日は何か書くに値することをやった?」という自問自答するようになったことです。別の言い方をすれば、一日一日をより大事に生きるという姿勢が出てきたように思います。もうひとつの収穫は、書くことで自分の考えなどをまとめることができたことです。そんな意味では、ブログに感謝です。そして、読んでもらっている人、そして時間を割いてコメントを書いてくれている人にも感謝です。1月20日まで、いよいよカウントダウンがスタートしました! フォー!

緊張とストレス

三条高校同窓会の新年パーティーに行く予定だったのですが、今晩はその気力もなくなりました。なにせTOEICの運営は疲れます。「ただ大きな会場に受験者を集めて、テープをかけるだけでしょ?」と言われたこともありますが、それに伴うストレスはすごいものです。
ご存知のように、いまやTOEICは会社での昇進、そして大学生にとっては就職など、受験者の人生までも左右するような影響力を持ち始めました。だからなおさら運営も緊張感が出てきます。年々分厚くなるマニュアルを読むだけでも大変です。まあ、それだけTOEICが受験者に対して真面目に、そしてフェアにやっている結果なのでしょう。
会場の準場が始まるのは、9時。そして、会場の片付けが終わるのが4時半。つまり7時間半の拘束です。疲れるのも分かってもらえることでしょう。私たち以上にグッタリしているのは、もちろん受験者です。リスニング45分、リーディング75分。合計2時間にわたり問題と格闘しなければなりません。本当にご苦労様でした。
帯広はこの冬としては穏やかな一日でしたが、豪雪に悩まされている北陸地方などはどんな天気だったのでしょうか。吹雪で受験者が会場に来れない、なんていう人も多かったかもしれませんね。それにしても、こんな試験を全国各地で同時にやっているのですから、主催団体のTOEIC運営委員会はたいしたものです。
自宅に戻ってソファーに横になっていると、電話が鳴りました。なんと妻と子どもたちが一日早く札幌から明日戻ってくるというのです。それを聞いて、私はさらに疲れが出てきました。これから台所の洗い物が待っています。

上には上がいる

今日は朝から英検合格セミナーということで、午前3級、午後から準2級の講座を担当しました。準2級の講座には、中学2年生がいて、周囲の受講者から「たいしたものだね!」なんて声が上がっていました。ジョイでは、昨年でしょうか、確か小学6年生で準2級の合格者が出たことがあります。
講座修了後、ネットニュースを見てビックリ仰天。玉城泰斗(やすと)ちゃん(5つ)=豊見城市=が準2級に合格したというのです。準2級と言えば、高校2年程度の英語力を要求されます。そして、5歳と言えば、私の長男の一樹と同じ年です。そんな幼い子が英検準2級に合格するなんて信じられません。
泰斗ちゃんは3歳で宮古島の英会話スクールに通い始め、英語に親しんできたそうです。4歳で5級、4級、3級を続けて受検し、それぞれ1回で合格。これまたすごすぎます。そして、豊見城市に引っ越した昨年4月からは市内の英会話スクール「IAC」(ウッド・クリストファー代表)に週3回通い、ゲームや音楽を織り交ぜながらレッスンを受けているそうです。
検定協会によると、県内では2005年度第1回検定(6―7月)で別の5歳児が合格しているというのですから、沖縄はレベルが高いのでしょう。泰斗ちゃんは「練習問題をやっていたので自信はあった。1級まで全部とりたい」「大きくなったら宇宙飛行士になりたい」と話しているとのこと。そんな泰斗ちゃんにぜひ一度会って英語上達の秘訣を教えてもらいたいと思います。

営業マン

午前中、英会話の派遣クラスに興味があるという市内の会社に行って来ました。服装は少し迷ったのですが、ノーネクタイにブレザー、さすがジーンズはやめスラックスに(これでも気を使ったつもり)。ただ、ひとつ失敗したのは、5本指の靴下のまま行ったことです。なんと通された部屋が土足禁止。スリッパはあったのですが、担当者が靴下のまま入ったので、私もそうするしかありませんでした。情けない姿をさらけ出してしまいました。
この手の仕事はまさに営業です。担当者とあれこれ話していて、松下電器の悲しき営業マン時代を思い出してしまいました。飛び込みセールスはとにかく大変でした。担当者にたとえ会えても、話題が続きませんでした。そんなこともあり、短期間でしたがタバコを吸った時期もあります。間を持たせるためです。営業は本当に難しく、私には合わない職種だと信じていました。
あれから28年。時の流れは全てを変えてしまいます。正直、営業に対して今回はまったく違和感がありませんでした。それどころか、もしかして自分は営業マン向きでないかとさえ思えたのです。セールストークに入るまでの世間話もスムーズで、我ながら「うまい!」なんて合格点を上げてしまいました。
もちろん最近のコミュニケーション理論によると、相手にアクションを起こさせて初めて「成功」と言えるわけです。と言うことは、私の場合は、その会社から講師派遣の仕事をもらうということになります。私が営業マンとしてやって行けるかどうかは、あと1週間もすれば判明するでしょう。

30億円!

ニュースを読んでいると、「松下」の文字がよく私の目に飛び込んできます。理由は、ジョイを始める前に私が松下電器に勤めていたということだけでなく、長年にわたり両親が松下電器の販売店を経営していたからなのでしょう。その松下が大変なことになっています。
松下電器製の石油温風機が一酸化炭素中毒事故を起こしたことは、ご存知のことと思います。毎日のように「松下電器からのお知らせです。・・・」という女性が暗い声で呼びかけるテレビCMが目立ちます。そして、同様の趣旨のチラシが何度も新聞に折り込まれています。回収、修理対象の温風機約15万2000台のうち、約4割に当たる約6万2000台の所在が今も分からないそうです。
松下電器の発表によると、石油温風機の回収を進めるため、全国のすべての世帯と宿泊施設の計約6000万カ所に危険性を知らせるはがきを送るのだそうです。私はこのニュースを読んですぐに計算してしまいました。ハガキ1枚50円で計算すると、なんと30億円!(この計算間違ってないですよね?) もちろん、これだけの規模でやるのですから、割引はあるとは思いますが。とにかくすごい金額です。
それにしても、松下電器はこの回収のためにどれぐらいの費用を使うことになるのか想像できません。それだけ人の命は尊いということでしょうか。あるいは企業の社会的責任を真摯に果たそうとしているのかもしれません。構造上のミスがこれだけの損害を一企業に与えてしまうのですから、どんな仕事も儲けとリスクは表裏一体です。
実は約15万2000台のうちの1台が私の伯父の仕事場にあったということを最近知りました。やはり5万円で引き取ってくれたそうです。もしかしたら、みなさんも使っているかもしれません。もう一度、あのCMに出てくる機種を真剣にチエックしてはどうでしょうか。取り返しのつかない事態にならないうちに!

魔の水曜日

私にとって水曜日は1週間で最も忙しい日です。一番の理由は、8時30分からの「ニュース英語5」クラスの準備に時間がかかるということです。そんなことで、他のことが重なると大変なことになってしまいます。今日は、重なりに重なり、そしてさらに重なってしまい最悪でした。
まずは昨日から降り続けた雪にブーイング。朝起きると、すでに20センチの積雪があり、家とガレージの前の雪かきに30分もかかってしまいました。冬は余計な仕事が増えます。妻が子どもを連れ今日から札幌へ里帰りするので何かと慌ただしく、おふくろを歯科医院まで送り迎えしなければならなかったりして、午前中のスケジュールはハチャメチャ状態でした。
正午頃ジョイに戻ると、デイビットが雪かきをしていました。基本的には、隣の幼稚園がブルドーザーを使い除雪してくれるのですが、どうしても細かいところは残ってしまいます。それをいつも率先してやってくれるのがデイビットです。今日はさすがに私も少し手伝わずにはいられませんでした。そして、ますますクラスを準備する時間がなくなり、そのまま午後2時のミーティングまでかかってしまいました。
つまり昼食を食べる時間がなかったということです。それを見かねてカップラーメンを作ってくれた先生がいたのですが、2時30分には元生徒が相談があるということで来てしまい、結局、それも食べることができませんでした。そうこうしているうちに、3時から90分と60分の2つのプレイベートレッスンが連続でスタート。空腹を満たすことができたのは、6時でした。
そして今8時30分からの「ニュース英語」が終わり、このブログを書いています。魔の水曜日の終わりです。さあ、自宅に帰り、久しぶりにゆっくりジャズでも聴きますか。

ビザ

私は苦手がことが多いのですが、そのひとつがペイパーワークです。とにかく書類をそろえたり、堅い文章を書くのが大嫌いです。今年もこの嫌な仕事の季節がやってきました。新しい外国人講師を招聘するためのビザの申請手続きです。
今日は朝からその仕事で大忙しでした。まず、9時過ぎに札幌の入国管理局に電話で必要な書類を確認。これは毎回しなければなりません。ときとして私に無断で(当然ですが)、変更してしまうからです。電話が終わると、商業・法人登記簿謄本を取るために、市内にある法務局に直行。毎回、この書類が必要なのです。その度に、1、000円かかります。
商業・法人登記簿謄本の他に必要なものは、在留資格認定証明書交付申請書、申請人の写真2枚、損益計算書、案内書、申請人の経歴書、卒業証明書、雇用契約書の写し、そして、その他の書類として、外国人講師リスト、招聘理由書が要求されます。私のように手際が悪い人間には、まさに一日仕事です。しかも、それ以上に厄介なのは、これらの書類を郵送ではなく、札幌まで持参しなければならないということです。
いつも思うのですが、大都市は集金システムを持っているのです。帯広からこのために列車料金をかけ、札幌に行かねばなりません。駅からタクシー代もかかります。もちろん人件費だってばかになりません。時間だって往復6時間もかかります。そして、正式に認定書が下りるまでになんと1ヶ月もかかるです。もう少し効率的なシステムはないものなのでしょうか?

和室

アメリカから今頃クリスマスカードが届きました。送り主はマット。ジョイで働いていたのは15年も前のことでしょうか。長身で、髪の毛が薄くて、お酒を飲むと急に陽気になる、エルビス・コステロが大好きだった男です。
マットはあの名門ハーバード大学の出身という秀才でした。では、なぜそんな彼がジョイにたどり着いたのか、疑問が残るはずです。実は、彼の奥さんが建築家で、彼女の方が音更の象設計集団に先に就職が決まっていたのでした。当時、私は象のことは知りませんでしたが、全国的、いや国際的に知られる建築設計の事務所だったのです。マットはそんなことから彼女について来日し、ジョイで英語を教えることになったのです。
とてもいい先生で人気があったのですが、彼の興味は英語ではなくコンピュータでした。そんなことから、残念なことに1年でジョイを辞め、札幌の有名なコンピュータソフト会社に就職して行きました。
今回届いたクリスマスカードには、自宅を増築して和室(縁側やお風呂も付いているそうです)を作ったということが書かれていました。写真には、畳だけでなく障子も写っています。そして、その障子の前にはクリスマスツリーが。なんか違和感がありそうで、しっくり感もある不思議な空間です。でも、何かの縁で日本で過ごした2人がアメリカの自宅に和室を作るというのは、とても嬉しいことです。
それにしても「なぜタタミなの?」とマットに聞きたくなります。「俺はマット。タタミマットが好きなのさ」なんて笑えないダジャレが聞こえてきそうです。クリスマスカードには、「将来2人の子どもを帯広に連れて来たい」と書かれていました。そんな日が近いことを願っています。

エルビス

林正巳さん(十勝毎日新聞社元社長)のお通夜の帰り道、カーラジオから流れてきたのがオールディーズの番組でした。そして、特集はエルビス・プレスリー。ここまで書くとファンの方はピーンとくるのでしょう。そうです、私は知りませんでしたが、今日1月8日はエルビスの誕生日だったのです。それで、謎がひとつ解けました。昨日の夜、何気なくテレビのチャンネルを回すと、衛星放送でエルビスの番組をやっていたわけです。
エルビスは1935年の生まれですから、今生きていたら71歳。70歳を越えたエルビスは、いくら想像たくましい私でも、イメージがわきません。あの長く伸びたもみあげはどうなっているのでしょうか? あの黒々した頭髪はカツラに代わっているのでしょうか? 確実に言えることは、もはや怪しくセクシーに腰をふることは無理ということだけです。なにせ他界する直前のエルビスの体は、ドーナツの食べ過ぎで、ブクブクだったと言われています。
エルビスは、アメリカ、ミシシッピー州のテュペロという町で生まれました。彼の生家が番組で紹介されていましたが、それはそれは小さな家で、とにかく貧しい家庭に育ったということでした。そのエルビスが愛する母親のために録音した1枚のシングルレコード(当時、わずかなお金を出せば、誰でもレコードを作ることができたそうです)が奇跡の始まりでした。それをたまたま耳にした「サン・レコード」のオーナーがエルビスに大きなチャンスを与えたのです。
番組では、このサン・レコードのスタジオも映し出されていましたが、時間が止まってしまったような場所でした。エルビスはここでロカビリーの誕生を高らかに告げる名曲の数々をレコーディングします。その後のサクセスストーリーはみなさんもご存知のはずです。こんなアメリカンドリームは、宝くじや株取引のミスに乗じてゲットした一刻千金とは違い、いつ聞いても胸がジーンとなります。
他界した林正巳さんもこの十勝を舞台に、エルビスとまでは言わないまでも、サクセスストーリーの主人公だったのでしょう。ご冥福をお祈りします。

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