JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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A Cup of Tea

東京からゲストが来たり、株主総会があったりで、さすがに疲れてしまい、今朝は7時までぐっすり眠ってしまいました。朝ゆっくりできるのは、水曜日しかありません。あとの日は、授業やミーティングが入っているからです。
こんな日は、とにかく一杯の紅茶で幸せになれます。私は特に濃いアールグレイにミルク(冷たい牛乳)を入れるのが好きです。これは学生時代にイギリスでホームスティした際、朝食メニューの定番でした。今朝は風が強くて中庭ではお茶を飲むことはできず、子供の泣き声の中で慌ただしい食後のティータイムとなりました。
最近読んだ記事によると、イギリス人の紅茶離れが進んでいるようです。事実、イギリスの紅茶市場は1999年の7億700万ポンド(約139億円)から2004年には6億2300ポンド(約123億円)に縮小。過去2年間で、一般的なティーバッグの売り上げは16%も減少したといいますから、これは深刻です。 
イギリス人のうちどれぐらいの人が紅茶を飲んでいると思いますか? 約80%なのだそうです。このパーセンテージは65歳以上になると85%に上がりますが、15歳から24歳だと72%まで下がります。1日に2杯以上紅茶を飲む人は、青年層でたったの38%、65歳以上だと70%。若者たちの好みが、コーヒーやソフトドリンクにシフトしてきたのでしょう。
ところで、あの私がホームスティしたルーカス一家の朝食は今どきどうなっているのでしょうか? 「元気? お茶を飲みに来ました!」なんて驚かせてみたいですね。

JAGAとの10年

今日は私にとって1年で一番苦手な日。(株)エフエムおびひろ(FM-JAGA)の定時取締役会と株主総会でした。そして、開局以来10年間つとめてきた社長を交代させてもらうことになりました!
こうして会社を辞めるのは人生で2度目です。最初は松下電器で、当時の私は若干23歳。独立してジョイを始めることは決まっていたのですが、挫折感でいっぱいでした。あのとき、もう二度と会社は辞めない、と誓ったものです。でも、今回はそのときと違い、安堵感でいっぱいでした。会社にそれほど迷惑をかけることなく(?)、なんとか10年間つとめることができたからです。
ジョイとは違い、JAGAの方は会社として体裁がきちんと確立しています。そんな所に身を投じることができ、いい社会勉強をさせてもらいました。一番の思い出は、やはりJAGAが開局した際に、第一声を出させてもらったことです。とても短いメッセージでしたが、喉がかれるほど緊張したのを覚えています。
新しい社長は、私の高校の先輩で、結婚式で発起人代表をやってもらった金沢耿さんです。TRADという不動産会社の社長で、帯広サッカー協会の会長としてよく知られています。尊敬できる人にこうして無事バトンタッチできて、本当によかった! これからはリスナーのひとりとして、地域のラジオ局を見守って行きたいと思います。

駐車場

昨日から帯広入りしていた全外協の関係者7名が朝からジョイを見学に来ました。この視察ツアーに参加したのは、ELSランゲージセンター、渋谷外語学院・日伊学院(東京)、G.E.S英会話(三重県)、エヴァグリーン英会話スクール(高知県)の経営者4人と全外協の事務局の3名でした。
なぜ、こんな遠くからジョイを見学に来たのかと言えば、それはジョイが全国的に有名だからです! 本当です。信じてませんね? 問題は何で有名かということです。実は、ジョイは駐車場で知られる存在となりました。その発端は、昨年の全外協総会で披露した私の自己紹介です。数多い加盟校の中でジョイのことを一発で覚えてもらいたいと考え、「うちの駐車場は英会話学校で全国一広いと思います。100台は駐車できます!」とやっちゃったのでした。
もちろんこれは嘘ではありません。ジョイの3つの建物にはそれぞれ駐車場がついていますが、全てを加えると100台は軽くとめることができます。ジョイには、施設面の他にも全国に誇れる点がいくつかあります。そのひとつが日本人講師の約半数ぐらいがジョイの元卒業生だということです。そして、社会人コースの先生が持っているブログも、他の英会話学校には例がないと思います。
100台の駐車場で全国の注目を集めるのではなく、「日本一地域に密着した英会話学校」の称号を勝ち取るのが私の目標です。その日が来るまで、これからもがんばるジョーイ。

恵みの雨

これまでこんなに雨が恋しかったことはありません。こんなことを書くと、東京、三重、そして四国から今日帯広入りする英会話学校の経営者の方々に叱られてしまいそうです。それほど私は雨を本当に待ち望んでいました。農家の方もまったく同じだったと思います。初めて彼らの気持ちが分かりました。
なぜ、私がそんなに雨を待っていたのでしょうか? それは、3週間ほど前、自宅の前庭に芝生を敷いたからです。ご存知のように、当初は毎日水をやらなければなりません。均等に、たっぷり、しかも毎日というのは大変な作業です。しかも、季節外れの猛暑。今朝までの雨のおかげで、芝生は生き生き、そして私も水まきに使う時間を雑草抜きの作業に向けることができました。
恵みの雨とは、このことを言うのだということが分かりました。これからは、今までとは違い、雨に対して優しいそして感謝の気持ちで接することができそうです。人間も変われば変わるものですね。
さて、これからゲストを車に乗せて十勝の観光へと行ってきます。今日は私の友人2人も、同じように東京からお客さんを案内しているようです。初夏の十勝、いよいよたくさんの人たちが十勝を訪れて来そうですね。十勝のいい所を発見してもらい、十勝ファンになって帰って欲しいです。これからゲストが帰る明日の夕方までは、どうか雨が降らないように! 人間って、本当に勝手な動物ですね。

ピカソ

帯広美術館で開かれているピカソ版画展をおふくろと一緒に見てきました。私はヨーロッパやアメリカを中心にいろいろな美術館に足を運んだことがありますが、それほど感動したことはありません。唯一の例外は、大学生時代に訪れたスペインのバルセロナにあるピカソ美術館でした。そんな訳で、珍しく行ってみたくなったのです。
ピカソはマラガ生まれだというのに、ピカソ美術館がなぜバルセロナにあるか知っていますか? 実は、ピカソが少年時代を過ごした街がバルセロナだったのです。ピカソ美術館と名づけられてはいますが、ここには大作は展示されていません。あるのは少年時代あるいは無名時代の作品が中心です。多くは彼の両親が保存していたもの、そしてピカソ自身が寄贈したものだそうです。
私はピカソに関しては、「こんなの誰でも描ける?」なんて本気で考えていました。せっかくバルセロナに来たのだから、行かなくちゃ程度の気持ちで美術館に入ったのです。今でも記憶に残っている作品は、教科書の余白に書かれた少年時代の彼の絵やデッサンでした。とにかくそれがうまいのです。ピカソ美術館で私が学んだことは、彼の抽象的な作品の全ては確固とした基礎の上に成り立っていたということでした。
帯広美術館で今回展示された作品は版画ということで、地味な作品ばかりでした。私はなぜかピカソ美術館を思い出してしまったのですが、やはり何かが根本的に違っていました。それは建物の雰囲気でした。ピカソ美術館の建物は風格のあるゴシック建築だったと記憶しています。同じものを見ても、場所が違えば、感じ方は違うはずです。一緒に行ったおふくろは、やはり、「私には分からないねえ」を連発していました。

株主総会

この時期いろいろな会社で株主総会が開かれます。今日はそのひとつ、帯広信用金庫の株主総会に行ってきました。帯広信用金庫の株を持っているのですか? なんて質問が出そうですが、実は、持っているんです! 確か1株か2株。
銀行の場合は、株主総会という名前ではなく、総代会と呼んでいるようです。私は昨年から総代のひとりに選ばれたのですが、それが何だかまったく理解しないで引き受けてしまいました。総代とは、株主の代表ということでしょうか。
昨年の総代会に出席したときは、それはそれは惨めでした。なにせブレザー姿で行ったのは私だけだったのです。他の人たちはみなダークスーツに身を固めていました。ですから、今回は2度と同じミスは犯さないと、ダークスーツにネクタイ姿で行ってきました! 今日の帯広はまたまた暑かったのですが、会場はクーラーがきいていて、すっかりいい気分で上下のまぶたが仲良くなってしまいました。
来週の28日(火曜日)にはエフエムおびひろ(FM-JAGA) の株主総会があります。社長をやっていて一番いやな日です。社長は総会の司会をやらなければならないのですが、いつも用意された原稿を間違って読んでしまったりします。ないせ学生時代から現代国語の時間に声を出して読むのがあれだけ苦手だったのですから、当然かもしれません。英語ならいいのですが。
今年で10回目の総会となりますが、今年はばっちり決めようと思います。ところで、こんな話を釧路の教育大学の学生に知れてはまずいかもしれません。なにせ彼らに授業でプレゼンテーションの仕方を偉そうに教えているのですから。そうそう、たまに学生もこの「玉手箱」を読んでいるのがいました。もう変なことは書けませんね。

新時代の交流

私がジョイを始めた28年前は、いくらジョイは英語塾ではないと強調しても、なかなかそれが理解されませんでした。公教育の立場からすると、英語塾は社会悪という見方が一般的で、私は一生表通りを胸を張って歩くことはできない? 裏の世界で生きて行かなければならない? なんて、悩んだ時期もありました。
その頃は、私が公立の学校に講演会の講師として招かれるなどということは、100%ありえませんでした。でも、時代は変わりました。私が出かけて行くだけでなく、反対に先生たちがジョイに来る時代になったのです。
今日は、鹿追にある上幌内小学校の8名の先生が、小学生クラスを中心に見学に来ました。ご存知のように、小学校で英語教育が、どんな形にせよ、始まるというのはもう時間の問題です。そして、小学校の先生にとって頭が痛いたいのは、どうやってそれに対処したらいいかということになります。
午後3時45分より児童クラス(年長、小1)と小学生クラス(小学3・4)の2クラスを見てもらい、その後、30分ほど意見交換をさせてもらいました。一昔前には考えれないような交流ですが、お互いメリットになることがあると私は信じています。「地域に根ざした英語教育」を目標に掲げるジョイとしても、こうして十勝の英語教育を共に考えることができるのは幸せなことです。これからも機会があれば、交流の輪を広げて行きたいと思っています。

あの人は今?

ジョイを始めた頃、よく一緒に遊んでいた仲間に「たっちゃん」(本名:山本達雄)がいます。職業は、私と同じ英語教師。池田で英語教室を経営していました。だだ、私と違うのは、もうひとつ職業を持っていたことです。それは「画家」でした。彼自身は画家が本業と考えていたようです。
十勝でも何度か個展を開きましたが、「真っ青な室内の中にある青いイス」など、私のような凡人には到底理解できるような絵ではありませんでした。多分、仲間たちの多くも私と同じ意見だったと思います。
そのたっちゃんが十勝を離れて、もう15年以上の月日がたったでしょうか。今日の昼間、久しぶりに電話がありました。その後、アメリカのコネチカット州立大学美術学部大学院を卒業したのだそうです。そして、1999年にブラジルを訪れて以来、自然界のエネルギーやパワーと人間の関係を題材にした作品を描くようになり、毎年のようにブラジルに長期滞在してビーチの絵を描いているとのことでした。
時の流れは人を変えてしまいます。ネットで作品が見えると言われて、クリックするとブラジルブラジルした絵が目に飛び込んできました。これなら私にも分かります。
6月末、東京の画廊で個展をやるのだそうです。この期間には東京に私は行けそうにありません。興味がある方は画廊にお立ち寄りください。髭をはやした年齢不詳の痩せた男がそこにいるはずです(もしかしたら、時の流れはその人の容姿をも変えているかもしれませんが)。声をかけてやってください。
PS. 最近、絵が売れるようになったそうです。そう言えば、たっちゃんからもらった絵が何枚かジョイにもあります。これも値上がりするかな?
山本達雄ブラジル絵画展
日時:2005年6月29日(水)〜7月4日(月)
時間:11時から午後7時(最終日は5時まで)
会場: 積雲画廊
〒150−0001 渋谷区神宮前1−19−14
最寄駅 JR原宿駅竹下口より代々木方向へ徒歩1分
Tel/Fax 03−3478−0993
http://www.brazil.ne.jp/contents/events/events000_2005061584.htm

会議

ネクタイを締めるのと同じぐらい私が嫌いなのが会議です。今日は1時30分からある会議に出席しました。会場は十勝プラザの会議室、外はもう28度にも達しているというのに、その部屋にはエアコンが入っていませんでした。暑いこと暑いこと。でも、議題が載った用紙をうちわ代わりにしてあおいでいたのは私だけでした。議長は小学校の元校長先生ということで、昔なら一喝ものだったかもしれません。
今日の会議の予定を見ると、「1:30〜?」となっていました。と言うことは、何時まで続くか分からないということになります。日本の会議では、何時までという目標を予め決めないで開始される場合がよくあるようです。こんなときは、議題があちこちに行ってしまって、なかなか本論にたどり着かない場合があります。何時に終わるかは最低限決めなければ、議事進行は生産的にはできません。
今日の会議は結局1時間ほどで終わりました。でも、内容に繰り返しが多く、ストレートにやれば多分15分程度で終えることができたかもしれません。「時は金なり」と言いますが、参加した方々の時給を考えると、かなりの金額がこの会議のために使われたことになります(別に日当は支給されませんでしたが)。
「会議は嫌い」と言いながら、最近ジョイでもミーティングという名前が付いた会議が増えてきました。私が目指した組織は、ミーティングなどなくても普段のコミュニケーションで十分やっていけるというものでした。理論と実践はやはり違うものなのですね。会議の数が増えれば増えるほど、組織は硬直化するもののようです。みなさんの会社でも、最近、会議が多くありませんか?

ライティングの時代

英語教育の分野に入って今年で28年目。これまでセミナーを受けたり、いろいろな先生に話を聞いたりして、自己研鑽を積んできました。そして、最近感じるのは、そろそろライティングの時代がやって来るという予感です。
そんな折、昨年の英語EXPOのゲストだった福島範昌さんから新刊が送られてきました。タイトルは『英語の頭で書ける本』(ジャパンタイムズ)です。福島さんは、名前が「のり」だけあって、このところ「のりに乗って」います。力がある人だけに、いい本を連発しています。この本も英語的発想で書くコツを伝授するマニュアルとしてロングセラーになることでしょう。
本の帯に「英語らしい英語を書くための3原則」がのっています。(1)具体的なイメージがわくように書く、(2)「1文1情報」の原則で書く、(3)日本語をかみ砕いて情報を整理する、とのことです。
インターネットが普及してからというもの、英語教育を取り巻く環境が一変しました。今日求められている英語力は、膨大な量の情報を短時間でチェックし、短時間で自分が言いたいことをまとめ、発信する能力です。本当の英語能力が問われる時代に突入しようと、いや突入しました。
28年間も同じ分野で仕事をして来ると、これまで見えていなかった流れが体で分かる感じがしてきました。これまでの数々の誘惑を断り、この道一筋でやってきて本当によかった! 

運動会

今日は一樹くんが通うわかば幼稚園の運動会でした。妻は朝4時ごろから台所で働き始め、何か異様な雰囲気で一日が始まりました。実は、私は子供のころから運動会が大嫌いでした。理由は、足が遅いこと、ダンスが苦手なこと、本番であがってしまうことでした。当初は、今日は東京からのゲストがあり、昼間にお弁当を食べに行くだけの予定だったのです。ところが、ゲストが急に帯広に来れなくなり、朝から運動会に行くことになりました。
こんな日に限って、暑いこと暑いこと。27度? 勘弁してほしい天気でした。なにせグランドで見ているだけで、肌がヒリヒリ焼けてくるのが分かりました。周りには若いお父さんやお母さんがいっぱい。同年輩の人もいましたが、家族構成を考えるとおじいちゃんとおばあちやんでした(ショック)!
一樹くんは「もも」組、徒競走が始まりました。やはり私に似て足は遅いようです。続いてサンバのリズムに合わせて踊っています。これまたリズム感がいまいちでした。やっぱり一樹は私の子だ、と変なところで確信してしまいました。一番恐れていたのが親子での競技。アキレス腱でも切ったらどうしょう(?)、なんて心配していたのですが、それほど激しいものではなく一安心。オセロゲームとボールの又転がしゲームでした。
それにしても暑い運動会でした。お弁当は、我が家に戻り中庭で食べることにしました。そして、午後のプログラムは私はキャンセルして、自宅で下の子の面倒を見る選択をしたのですが、これが大誤算。「泣いて、泣いて、泣いて・・・」とまるで演歌の世界でした。
午後2時、一樹が大声で「金メダルをもらった!」と大声で叫びながら帰ってきました。「すごい!」と褒めてやると、妻が小声で「みんな金メダルなの」とのこと。私の時代の運動会と言えば、必ず普段目立たない子が張り切る日でした。そして、私はいつも鉛筆しかもらえなかったのですが、今の子供は全員平等(?)に扱われているようです。でも、これでいいのでしょうかねぇ?

タスマニア

昨日の相原正明さんの「スライド&トーク」には20名を越える生徒が集まってくれました。相原さんの軽快な語りとオーストラリアの美しい風景に癒された人も多かったことと思います。
今回のスライドの中でもかなりの枚数を割いていたのがメルボルンの南にある小島、タスマニアでした。タスマニアの緯度は北海道と同じくらいにあり、島の大きさも北海道をやや小さくしたくらいです。人口は州都のホバートが19万人、タスマニア島全体では47万人といいますから、北海道の人口の10分の1程度と考えることができるでしょう。
実は、私はオーストライアに行った経験が一度しかないのですが、その一度がこのタスマニアでした。平成10年のクリスマスシーズン、忘れもしない新婚旅行でした。季節がちょうど逆ということで、夏の奇妙なクリスマスを体験することができました。
タスマニアと言うと、相原さんのトークからも分かるように、通常は自然や動物の話題が中心になります。でも実は、タスマニアはシドニー、メルボルンと並んで,豪州開拓時代の古い歴史を持っているのです。それを物語るのが1830年にポートアーサーに設置された流刑監獄の存在です。もともと初期の移民は英国からの流刑者だったのですが、豪州においてさらに罪を犯した者がここに囚人として再度送られてきたという歴史があります。
ホバートから北にヘリテージ・ハイウエイが走っています。この沿道にある数々の古くて小さな町が最高です。特に中心街にあるホテルはレトロそのもので、とにかく泊まってみたいという衝動にかられてしまいます。しかも、ほとんどの町にはアンティークショップがあり、いい味を出しているのです。そして、田舎の割にはレストランのレベルが高くとても驚きました。
「そのうちもう一度ヘリテージ・ハイウエイのホテルを訪ね、写真集にして出したい」と相原さんに言うと、「私はもうその企画は立てています!」と言われてしまいました。さすがプロ。お目が高い! やっぱり、考えたら即実行でなければならないですよね、どの分野でも。

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