JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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カリスマ教師が行く

このブログに何度も登場するのが、田尻悟郎先生です。実は、6月11日(土)にジョイを会場に開かれた「ゆかいな仲間たち」の際に、遠く島根県からテレビ局が田尻先生を追いかけて帯広入りしていました。菅正隆先生、久保野雅史先生とのトークショーを中心に熱心に映像を撮っていたのを記憶している方も多いと思います。そして、『カリスマ教師が行く〜英語大好き人間養成計画〜』(山陰中央テレビ制作)の全国放映が遂に決定しました!
北海道地区は北海道文化放送で10月27日(木)午前1時30分からです。と言うことは、26日の深夜から午前1時30分までがんばって起きていなければならないということになります。これは私のような早寝早起き族には無理というものです。そんな方はぜひビデオをセットしてください。なおこの作品は、FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品です。
このブログを書く直前に田尻先生と電話で話しました。彼によると、私へのインタビューもカットされることなく入っているそうです。そして、嬉しいのは、トークショーのシーンでは、ジョイの203教室の「英語の壁」も背景に見え、観客の中で紀子さんが大笑いしているのがアップで映るのだそうです。
島根県の公立中学校に勤めている田尻悟郎先生は、ニューズウィーク誌の「世界のカリスマ教師100人」の1人として紹介されて以来、超有名英語教師になりました。今でも土日は必ずどこかで講演をやっているそうです。今回の番組は、全国各地で放映されることから、さらに知名度が高まることでしょう。あまりにも有名になりすぎて、家にも帰れなくなったら、それは大変です。カリスマ教師がカリスマイ教師になってしまいます!

サプライズ・パーティー

みなさんはサプライズ・パーティーを経験したことがありますか? その名の通り、本人が知らない間に、周囲がパーティーをアレンジしてしまうというものです。
今日はデイビットの48回目の誕生日、そして来日中のデイビットの両親の結婚52周年を記念してサプライズ・パーティーが開かれました。企画・演出は紀子キャンベル。会場のランチョ・エル・パソには、デイビットの友人(ほとんどが飲み友だち?)を中心に30名ほどが集合しました。紀子さんの弁によると、職場以外にもこれだけの仲間がデイビットにはいるのだということを、アラスカからの両親に知ってもらいたかったそうです。
私の役目は、主賓であるデイビットとご両親を、気づかれることなく、会場まで約束の時間に連れて行くということでした。これが簡単そうで結構難しいのです。感づかれてしまうと、せっかくの準備が水の泡になってしまいます。今回は、両親をぜひ食事に招待したいということで、事前に予約していました。
約束の6時30分きっかりにデイビット一行はジョイに到着。23年(2年間はアメリカに帰っているので、実際には21年)の生活で、彼はすっかり日本人、いや日本人以上に日本的になってしまったようです。時間の正確さには驚かされます。そして、車2台でいざランチョ・エル・パソへ。2階の部屋に通され、デイビットはビックリしたなもー(古いギャグ)。
デイビットはまったく気がついていませんでした。作戦は大成功! テーブル・マジック、デイビット・クイズ、記念撮影、ケーキ・カット、スライド上映、全員の1分スピーチありの楽しいパーティーでした。最後の紀子さんのスピーチには、思わず込み上げてくるものがありました。デイビットは紀子さんのような人と出会って本当に幸せ者です。そう思いませんか? でも、一番幸せなのは、紀子さんかもしれませんね。

十勝初の英語教師?

帯広の百年記念館に行くと、十勝の歴史的な展示物の中にイギリスの探検家ランダーが描いたという絵画があります。そのランダーについて、今日の十勝毎日新聞「編集余録」に元帯広市議会議長の嶺野さんがおもしろい話を書いています。
このランダーが晩生社開拓地に1頭の馬を引いてやってきたのは、なんと1890年(明治23年)の夏。彼は世界の未開地一周を企て、日本の長崎に上陸し、北海道に渡り、太平洋沿岸沿いに広尾からたどり着いたそうです。そんな時代にイギリス人が開拓地に入ってきたというだけでも驚きなのですが、それ以上に衝撃の事実があったのでした!
ランダーは一番手前の草小屋の入り口に立ち、英和辞典を片手に「コンニチワ」と言いました。そうすると、若い主婦が笑顔で「How do you do?」と答えたというのです。彼は「Wonderful!」と言いながら絶句。こんな未開の地で、流暢な英語を話す人と会えるなんて彼は予期してはいなかったことでしょう。その主婦は晩成社幹部の渡辺勝の妻のカネでした。彼女は横浜のワッデル社で英語を勉強していて、英会話は得意だったそうです。
そうなんです、私たちが住む十勝では、なんと開墾の初期から英語が分かる人がいたのです。今や北海道一のお土産になった六花亭のマルセバターサンドは、もともと当時作っていたバターのレッテルを包装に使っています。そこにはすでに英語でその名前が表記されているのです。まだまだ需要が少ない時代にバターを製造していたということもスゴイことですが、そのレッテルに英語が使われていたことの方が私にはビックリでした。
もしかしたら、この開拓地でカネは子弟に英語を教えていたかもしれません。と言うことは、彼女が十勝初の英語教師ということになります。つまり私たち英語教師の大先輩ということです。これってロマン溢れる話だと思いませんか? 

秋晴れの日に

日本英語検定協会の宮田専務理事が、古畑広報課長とともに、わざわざ東京から私を訪ねて来てくれました。宮田さんと会うのはこれで2度目になります。昨年の春、全国の英会話学校が加盟している全外協のパーティーで会い、名刺を交換させてもらいました。でも、少し言葉を交わした程度だったので、果たして私のことを覚えているかどうか、とても興味がありました。
空港から市内に向かう田園風景の中、「専務、私のことを覚えていますか?」と聞くと、「確か、全外協のパーティーで会いましたね」との返事が。覚えていたのです! これって、結構、嬉しいことだと思いませんか? こんなときに、トンチンカンな答えが返ってきたら、意気消沈してしまいリズムに乗れなくなるものです。しかも、車の中で流していた「十勝の森から」も気に入ってくれて、1枚買ってくれました!!
今日は十勝の大地の魅力がいっぱいの日でした。紅葉、青空、心地よい空気。「三国」でおいしいソバを食べ、FM-JAGAに出演して英検のPR。十勝毎日新聞でも英検のPR。その後、ジョイを見学し、B館のバッキーホールでざっくばらんに意見交換。とても有意義な時間を過ごさせてもらいました。こんな秋の素晴らしい日に、仕事を仕事と感じることなくできる幸せ。本当に十勝に住んでいてよかったと思う瞬間です。これが東京なら、こんなにリラックスして話せるはずがありません。十勝に感謝です。そして、秋晴れの素晴らしい日にも感謝です。
明日は、小樽商大ビジネススクール札幌サテライト校で授業があります。朝早く帯広を出て、講演で札幌に来ている遠山顕さんとゆっくりランチをとる予定です。天気予報では、札幌は晴れ。でも、十勝の青空には勝てるはずはありません。

ジャッキーに感謝

デイビットの両親が3年ぶりに帯広に来ています。なんと10回目の帯広とのこと。こんなに帯広を訪ねて来る外国人は彼ら以外にいるでしょうか? そろそろ名誉市民の称号をやってもいいのでは、なんて勝手に私は考えています。
実は私とデイビットを結びつけたのは、お母さんのジャッキーでした。それは帯広が開基100年を迎えた1982年のことです。この記念すべき年に、姉妹都市のアラスカ州スワード市から約60名の市民がやってきました。WRCなどで外国人には今や慣れっこになってしまった帯広市民ですが、当時は大騒ぎでした。
帯広リードオーケストラ、帯広アドニス合唱団、千葉由雄とノーチェ・アミーゴという帯広を代表する音楽グループとスワードからのハイスクール・バンドが共演して、記念のコンサートが開催されました。このとき私は生まれて初めて英語で司会を担当! そして、指揮者のボブ・リチャードソンと知り合ったのです。ちょうどその頃、ハリーさんに代わる外国人講師を探していたこともあり、ボブに適任者を見つけてもらうよう頼んだのでした。
スワード市民が帯広を離れる日、見送りに行った空港で、ボブは「もう、見つかったよ」と笑顔で私に言うのです。そして、現れたのがジャッキーでした。「まさかこの人が?」と一瞬驚いたのですが、「私の息子、デイビットがいいと思うわ」という言葉を聞いて、私は安心しました。人との出会いは偶然、そして突然やってくるものです。
私はジャッキーと話して、この人の息子なら間違いないと確信しました。そして、1週間ほどして届いたデイビットからの手紙には、「日本に住んで働くというこの機会は逃すべきではない!」と書かれていたのです。彼が帯広にやって来たのは、1983年3月13日。あれから22年以上の月日が流れました。デイビットは私にとって一番大事な仲間です。そして、その彼と引き会わせてくれたのがジャッキーでした。

訃報

十勝毎日新聞のおくやみ欄で、大和昭一さんが64歳で他界されたことを知りました。大和さんは、地元を代表する写真館の経営者として有名です。私には、別の意味で、忘れられない方でした。実は、大和さんは私が教えた最初の大人の生徒さんだったのです。
ジョイを始めた28年前の生活と言えば、1日に2コマ授業をやるとほとんど仕事がない状態でした。当然、夜は仕事がありません。そんなときに声をかけてくれたのが、大和さん夫妻でした。写真館の仕事が終わる9時頃お宅に週2回出向き、それから1時間のレッスンをするのです。あの経済的に苦しい時代に、ずいぶん助かりました。それ以上にプラスになったのは、世間話でした。なにせ子ども相手の毎日で、大人の世界との接点がない頃だったからです。
大和さんが英会話を習う切っ掛けは、写真館に外国人のお客さんも来るようになったから、ということです。授業はとにかく実践的なもので、お客さんが写真館に入って来たときの挨拶から始まり、スタジオに誘い入れ、イスの座り方を教え、背筋を伸ばさせ、ニコッと笑わせる。ほとんどの表現が命令文でした。私が用意した英文を何度も何度も発音練習し、暗記してもらいました。
ジョイの外国人講師や帯広畜産大学の留学生が、大和さんにはずいぶんお世話になりました。その際には、私も必ず同行し、大和さんが額に汗を光らせ英語を話すのを陰で聞いていました。そうそう、他にもたくさん想い出があります。カナダからカーリングのチームが帯広に来たときは、黄色いハッピを着た彼らの記念写真を撮ってもらいました。デイビットの結婚式の写真だって、大和さんがシャッターを押してくれたものです。
本業が忙しくなり、2年ぐらいでレッスンは終わりました。会うたびに「今だに先生に教えてもらった表現は覚えていますよ。助かってます」と言ってくれた、あの笑顔が忘れられません。2人のお子さんもジョイの卒業生です。先日、大和さんの調子が悪いということは、息子さんから聞いていました。本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

最後の週末

先週の金曜日の夕方、いつものように仕事をしていると、デイビットがオフイスに入ってきました。ちょうどその時です。急に心臓の斜め上が痛み出しました。刺すような痛みで、耐えることができません。イスの上で痛みを堪える私をデイビットは心配そうに見ていました。1分ほどでなんとか楽になったのですが、デイビットは「明日すぐに病院に行った方がいい!」と言い出したら聞きません。私が大の病院嫌いということを知っていたからでしょう。
その夜、自宅のデイビットからメールが入ります。Urashima-san, from what I read it seems like you may have angina which means one of your coronary arteries is getting too narrow. You should definitely take some aspirin before going to bed and go to the doctor tomorrow.
「angina」を辞書で調べると「狭心症」とのこと。「これは大変だ!」と思いながらも、土・日と病院にも行かず過ごしてしまいました。でも、心の中では不安が高まります。「もしかしたら、これが最後の週末になるかもしれない?」。元気なよきパパのイメージを子どもたちに少しでも残したいという気持ちがこみ上げてきます。日曜日は、子どもたちを連れて公園で遊び、ランチはうどん屋さんに行き、午後にはハロイーンのジャック・オ・ランタンを作ってやりました。子どもたちは、もちろん、大喜び。
昨夜から緊張していたせいか、今朝は早くに目が覚めました。血液検査があるかもしれないと考え、朝食も食べずに8時半から循環器系で有名な病院へ。何時間も待たされ、レントゲンと心電図を取り、いざ運命の診察です。「これは心臓ではありませんね。たぶん、筋肉の問題でしょう。大丈夫ですよ」とのことでした。チャンチャン。

『英会話のかんづめ』

不思議なことを発見しました。アマゾンで本をチエックしていると、私がクライドと1998年に出版した『英会話のかんづめ』(旺文社)が、とうに絶版になっているのに、古本という形でまだ販売されているのです! しかも、その価格が定価の1,260円よりも高くて、なんと1,480円。これはどういうことだ、と私は思わず叫んでしまいました。常識で考えると、欲しい人がかなりいるにもかかわらず、品物が少ないということでしょうか。
『英会話のかんづめ』はもともと旺文社のNEOシリーズの1冊として全国発売されたのですが、1年もしないうちにこのシリーズ自体が中止されたことから、この本は市場にはあまり出ていないはずです。私は今でもプレイベートレッスンなどで好んで使っていますし、札幌の英語学校ではテキストとして導入しているところもあります。
そうこうしているうちに、ネットでこんな記事を見つけました。ある英語の先生からの書き込みです。
英文日記はともすると「朝起きて、朝食をたべて、学校へいった、部活をした」と毎日同じになりがちです。日本語で日記を書く習慣もないとなおさらです。それをさけるために、私は『英会話のかんづめ』を使いました。テーマがいくつもあります。たとえば、一つが朝食。そのテーマに4つのモデル作文があります。各一つに4行の簡単な英文日記のモデルがあります。そして一つDoクエスチョンがあり、また関連したWHQがあります。関連した単語も載っていて入れ替え作文ができるようになっています。生徒はいれかえるなり、質問に答えて自分のいいたいことを書くなりさせました。サンプルがここで書けるといいのですが、今、生徒に貸したまま戻ってこなく、手元にありません。
こうして自分が書いた本が、絶版になっても支持されているというのは、とても嬉しいことです。実は、この本はまだジョイに在庫が少しあります。欲しい方は、どうぞ。でも、「買ってアマゾンに売ろう」なんていう人はご遠慮ください。

創立90周年

帯広三条高校の創立90周年祝賀会に行ってきました。会場の北海道ホテルは400人を越える参加者でいっぱいでした。懐かしい恩師の顔、すっかりおじさんになった同級生、胸を張る出世組の先輩たち、お祝いに駆けつけた帯広の名士。様々な人間模様を見ることができました。
驚いたのは、90周年ということで集めた協賛金がなんと5千万円! 驚きです。90周年でこの金額ですから、10年後の100周年はどんなことになるのでしょうか? まあ、これも協賛会会長の鈴木樹さん(昭和30年卒)の情熱がそうさせたのでしょう。この方は、80周年の時も協賛会会長を務めた、卒業生の中でも超有名人です。
祝賀会ではお祝いのスピーチがつきものです。今日はその数なんと7名(うちひとりは欠席でした)。十勝支庁長や北海道議会議員など、全員が卒業生で、各界をリードする人たちでした。その中で異彩を放っていたのが、紫竹昭葉さん(昭和19年卒)。この名前からも分かるように、観光名所として全国的に知られる紫竹ガーデンの創始者でオーナーです。紫竹さんのユーモア溢れるスピーチが最高でした。そして、最後に「100周年もここで会いましょう!」と元気にエールを。これが三条高校の原動力かもしれません。
ジョイは今年で28年。再来年には30周年を迎えます。20周年の時は、NHKのラジオ講座の人気講師3人(遠山顕、大杉正明、杉田敏)を招いて、トークショーを十勝プラザのレインボーホールでやりました。30周年はできればパッともっと派手にやりたいものです。まだ発表段階ではありませんが、企画は私の頭の中にはあります。日本の英語界初のイベントを考えています! でも、これってたくさんお金がかかりそうです。もしかしたら、地味なものになるかもしれません。 

日本昔ばなし

「英語で読む日本昔ばなし」(ジャパンタイムズ)のシリーズが売れているそうです。これは「週刊ST」に連載されていた「辞書なしでも読める英語日本昔話」に加筆して再構成したもので、これまで5冊が出ています。Book 1が出版されたのが今年の7月5日。9月5日に第4刷が発行されていることからも、かなり売れていることが分かります。
これまで取り上げられている昔話はおなじみのものばかりです。私が知っているだけでも、桃太郎、かちかち山、かさ地蔵、おむすびころりん(Book 1)、浦島太郎、さるかに合戦、こぶとりじいさん(Book 2)、かぐや姫、鶴の恩返し、ねずみの嫁入り(Book 3)、はなさかじいさん、ぶんぶく茶がま、まんじゅう怖い(Book 4)、一寸法師、舌切りすずめ(Book 5)があります。
このシリーズの人気の秘密を自分なりに探ってみました。(1)音読やシャドーイングにピッタリの教材 (2)誰でも知っている有名な昔ばなしで、親しみやすい (3)英文の質がよくて、やさしい (4)字が大きくて、シニアには最適 (5)CD付きで1,000円はお買い得。確かに売れる要素がいくつもあります。
Book 2には、私のご先祖さまの話、「浦島太郎」も収められています。これまで何回もこの話を英語で紹介する機会がありました。ほとんどの場合、子どものときに覚えたストーリーを適当にアレンジしていましたが、そのうちこの本をきちんと読み、正調「浦島太郎」を語れるようになりたいと思います。桂かい枝さんのように、落語家風に語れるようになれば、それはそれで立派な芸ですよね。無理かな?

宝の山

午後から帯広コンピュータ福祉専門学校で開かれた山田桂一郎さんの講演を聞いてきました。山田さんはスイス・ツェルマット在住で、観光分野のエキスパートして国内外でコンサルタント業務や講演活動をしている方です。
これまで私は「帯広・十勝は観光地にならなくてもいい」とブログで書いてきましたし、話してもきました。でも、私は影響を受けやすいタイプのようです。今日の山田さんの話を聞いて、考えが変わりました! ホスピタリティ溢れる質のいい観光地なら、それもいいかもしれません。いや、帯広・十勝はそれを目指すべきです。
私がこれまでイメージした観光と言えば、団体客がワッと観光バスで到着し、お土産屋さんに消えて行く。ホテルのロビーは団体客で溢れ、情緒も何もないワイワイガヤガヤした朝の光景。そんな感じで受け止めていました。でも、いまや8割の旅行者が団体ではなく個人ということです。しかも、全国レベルでは、7割の人は旅行社を通さず自らネットなどを利用し旅行や宿泊をアレンジしているというのですから、驚きました。
いい観光地を作りたいなら、交通の便は結果と無関係、地域資源の良し悪しも関係ない、結局は人がいかに努力するしかない、という山田さんの指摘に私はうなずくだけでした。スイスでは、観光の玄関、空港の税関がホスピタリティ教育を受けているのだそうです。「十勝は何もない」などという人も周囲にはいますが、掘り出せばここは宝の山かもしれません。
春夏秋冬、四季を通じて人がこの地を訪れる。特別な観光スポットを巡るのではなく、ここで生活するように日常を体験する。人と真の交流が生まれ、会話が弾む。そんな観光地になるといいですね。そう思いませんか?

北のれんがを愛する人々

「北のれんがを愛する人々」の代表で彫刻家の相原正美さんが、今日の午後、久しぶりに訪ねてきました。このグループは、帯広市内東2条南12丁目にあるれんが造りの倉庫(築90年以上)などを改装し、文化交流施設を運営する団体で、最近NPO(特定非営利活動法人)の資格を取得しています。
現在、西側のれんが倉庫では、私のおやじ(浦島甲一)の白黒写真が常設で展示されています。同じ敷地には、ポストカードや減農薬野菜を販売する「ショップ・レンガード」、ポプラや桜の木が並ぶ中庭ではオープンカフェ「庵の桜」が営業中です。ここはまさに「大人の空間」という言葉がピッタリの場所で、休日にはいろいろな人たちがボランティアで働いています。
ところでみなさんはこのグループの名前「北のれんがを愛する人々」をどう英訳しますか? 実際に頼まれたのですが、正直、困ってしまいました。「(北のれんが)を愛する人々」なのか「(れんがを愛する)北の人々」なのか、微妙に違うからです。結局、私がつけた英訳は、Northern Brick Lovers になりました。ロックバンドの名前のようで、かっこいいと思いませんか? 略するとNBLです。あれ、どこかにありそうな名前ですね。
ここは帯広市内では珍しく落ち着ける場所です。みなさんも一度足を運んでみてください。いい風が流れています。そして、いい光が射してきます。ついでにおやじの写真を見てもらえると嬉しいです。優しいタッチの十勝野のカラー写真とは違い、力強い白黒作品に出会うことができます。相原さんの話によると、現在、東側に並ぶ倉庫を改装しているそうです。今後、演奏会や貸しギャラリーなどとして使う予定とか。ますます面白そうな空間が広がっていく予感がしてきました。

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