JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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旅立ち

今日から10月、前期が終わり、後期が始まります。ジョイではこのところ秋の募集の際に「英語の秋」というキャッチフレーズを使っています。そうです、後期は英語学習には絶好の好機(後期)なのです。
前期が終了した昨日を機に、ジョイを旅立つ人がいます。ジョイが2つの学校に別れていたときに、イングリッシュハウス・ジョイの代表をしばらくやっていた原田啓一くんです。私と同郷だった彼がアメリカ留学から戻ったときに、ジョイに顔を出したのが縁で勤めることになりました。なんとあれから早いもので、22年もたってしまいました。皮ジャンバーが似合う青年も今では髪に白いものが混じっています。
原田くんとはいろいろな思い出があります。中でも忘れられないのが、十勝毎日新聞社から出版した『ジス・イズ十勝』という意欲作です。なにせこの本は十勝以外では売れるはずのない、とても狭いマーケットをターゲットにした本でした。それでも何と3千部近くも売れたのですから、スゴイと思いませんか?
旅立つといっても、原田くんが完全にジョイを辞めるわけではありません。10月からも、非常勤講師としてこれまでと同様にクラスを担当します。そして、残りの人生でやりたいと考えているプロジェクトの準備をすすめて行く予定とのことです。長年一緒に仕事をしてきた仲間ですから、寂しくないと言えば嘘になります。でも、たった一度の人生ですから、やりたいことをやるのが一番。原田くんの門出をみんなで祝いましょう。

ボランティア通訳

世界ラリー選手権(WRC)第13戦「ラリー・ジャパン」が開幕しました。昨日の繁華街は、「ここが帯広?」と疑いたくなるような国際的な町に変身。そこらじゅうに外国人がいるというのですから、驚きです。特に凄かったのが、全国的に有名になった帯広名物「北の屋台」。赤提灯が飾られた幅3メートルほどの狭い路地は外国人で埋め尽くされたそうです。
このイベントを裏方として支えるのがボランティア通訳の市民です。ジョイの生徒そして先生も参加しています。きっといい経験になることでしょう。思い通りにやれたら、それが大きな自信につながるはずです。そして、反対に失敗したとしても、更なる努力につながれば、それはそれで価値があります。
私が大学生になった年、札幌で冬季オリンピックが開かれました。英語クラブの先輩はみな正式な通訳として雇われ、中にはフィギャースケート界の妖精ジャネット・リンと一緒に写真を撮ったという先輩もいました。私はまだまだ英語の実力がないということで、善意通訳に応募して登録されました(これは希望者全員)。
オリンピック委員会から送られて来た「善意通訳」というバッジを胸につけ、札幌の町を緊張しながら歩いたのを覚えています。誰か外国人観光客に話かけられたい。でも、話しかけられたらどうしょう。なんてドキドキ、そしてワクワクしていました。でも、オリンピックの期間中、結局、一度も話しかけられませんでした。
せっかく英語を習っても使う機会がなかった帯広ですが、これからは違います。みなさんの舞台は無限です。この数日間、十勝ホスピタリティで外国からのお客さんを迎えましょう! このイベントが毎年続くといいですね。帯広はラリーの分野では、世界的に有名なようですよ。

劇的ビフォーアフター

釧路から戻りました。釧路は行くたびに、町中が寂しくなっています。「来年は丸井デパートが撤退ですよ!」なんて、タクシーの運転手さんも元気ありません。ところで、帯広と比べると釧路は背広族が多いようです。特に、釧路駅やホテルで目立ちます。聞いた話ですが、それは不景気で会社の釧路支店や営業所が閉鎖され、札幌からの出張族が増えたことが原因のようです。ホテルは稼働率が上がったというのですから、何で徳するか分かりませんね。
ところで、今年も北海道教育大学での集中講座はいい雰囲気でした。初日の1時間目はどんな学生が集まるか、少しだけ不安でしたが、見るからに活発な男子学生が教室に入って来た時点で一安心。なにせ無口な学生ばかりだと、クラスを創り上げるのが難しいものです。予想通り、2時間目には学生の目はしっかり私とコミュニケーションを取っていました。
ほとんどの学生は「英語を勉強したい」という希望を持って大学に入って来たようです。でも、理想と現実のギャップに悩んでいるというのが、実態でしょうか。これはどこの大学も同じだと思います。英語をやりたいのに、それが思うようにやれない。興味を持てない科目をやっているうちに、全てにやる気がなくなる。そして、アルバイトにのめり込む。誰もが経験しそうなことです。
今年の学生は、まるでテレビ番組「大改造!劇的ビフォーアフター」のようでした。最初に教室に現れたときの彼らと最終日の授業が終わったときの彼らでは、まったく別人28号。英語のレベルが短期間でどれだけ上がったかは確かではありませんが、モティベーションは確実に高くなったと思います。「このままじゃダメだ。がんばろう!」という気持ちの変化が心に芽生えたはずです。
2年後に別の授業で彼らに会えることを楽しみにしています。そのときまでにモティベーションが持続しているといいのですが、・・・。ところで、今日はジョイでJICAの研修員(エジプト、パプアニューギニア、フィリピンなどから10名)を招いて、学期末のパーティーをやりました。こんなところに国際理解課程の学生が参加できると最高ですよね。どんな授業よりも効果ありそうですね。

北海道教育大学釧路校

今日は朝の9時からTOEIC帯広会場の運営をやってきました。今回は運悪く(?)帯広神社のお祭りとぶつかり、会場にも笛や太鼓の音が多少鳴り響いてしまい、ヒヤヒヤものでした。でも、なんとか無事終えることができ、一安心。そして、これから7時46分発の列車で釧路に向かいます。明日から4日間の北海道教育大学釧路校での集中講座を担当するためです。
釧路校へは2000年から年2回、9月と12月に行っています。私が授業を受け持っているのは、学校教育教員養成課程ではなく国際理解教育課程という耳慣れない課程です。そして、私が担当する課目も実は「英語」ではなく、「異文化理解実践論」(前期1年生対象)と「異文化間交渉論」(後期3年生対象)。当初、この話を釧路校の教授から頂いたとき、「これって何を教えればいいのですか?」と思わず聞いてしまいました。
今回は「異文化理解実践論」ですが、基本的には、なるべく英語を使い異文化を理解するというプログラムを目指しています。対象が1年生ということで、毎回、新鮮な驚きに満ちあふれたクラスになるのですが、今年はなんと初めて学校教育教員養成課程の学生が2名参加するということです。これまでとは違った雰囲気になるかもしれません。
ご存知の方もいると思いますが、国際理解教育課程は今年の1年生が最後の学生ということになります。つまり4年後にはこの課程はなくなるのです。ですから、私がこうして釧路に出かけるのもあと3年ということになります。そして、私が教える異文化理解実践論は、今回が最後の授業になります。
釧路は決して私好みの町ではありませんが、釧路校の学生が大好きです。とにかく性格が素直で、真面目に話を聞いてくれて、私のような者を必要としてくれます。ここで教え始めて、日本の大学生もまんざら悪くないな、そんな印象を持ちました。月曜日からの4日間は、今年も全力投球でがんばってきます。
そんな訳で、4日間ほどブログは休みです。書く方も辛くなりましたが、読む方も同じではないでしょうか? たまに休むというのも、お互いにとっていいかもしれませんね。では、行ってきます!

英検セミナー

昨日・今日と英検セミナーでした。昨日は5級、4級、3級。そして、今日は午後から2級のセミナーをやりました。対象は、小学校低学年から高校生が中心でしたが、3級のセミナーに小学3年生そして2級に中学2年生がいたり、4級に社会人の生徒が入っていたりして、普段は決して経験できないような混合のクラスでした。
英検セミナーでは、過去の問題を中心に1回分の全てを受講生に解答してもらい、私が簡単な解説を加えるという方式でやっています。リスニング問題もやることから、セミナーは長時間にわたります。例えば、5級で1時間半、4級・3級で2時間、そして準2級・2級では2時間半という具合です。なにせ昨日だけでも3講座で5時間半ですから、やる方もそれなりの根性が必要になります。
長い時間にも関わらず、受講料は安く抑えたいということで、講師を雇っては赤字になってしまいます。そんなことから、このセミナーは開設当初から私が担当しています。なにせ私は人件費がかからない存在なのです(もちろん給料はもらっていますが、時間外手当はないので)。どこの会社の社長さんも、特に零細企業では、私と同じように考える人が多いのではないでしょうか。
小学生や中学生を対象にした通常のクラスは、私はもう20年以上も担当したことがありません。ですから、英検セミナーを通じて、たまに子どもたちと接するのも勉強になります。それぞれの学年でどの程度の英語を理解できるか、インプットしておく必要がたまにあるからです。
英検は「聴く、話す、読む、書く」という4つの技能をチェックする数少ない試験のひとつです。大学生や社会人がTOEICに流れる傾向がありますが、小中高生からは圧倒的な支持を得ています。小さな頃から目標を持って何かにチャレンジする姿は感動的です。今回のセミナーでもそんな頼もしい子どもたちと会うことができました。目標に向かってがんばらなくちゃいけないのは、もちろん、私たち先生も同じですよね。

トーマスの誕生日

9月23日。今日は次男、広樹の3歳の誕生日でした。難産の末、なんとか生まれてきた次男は、まるで相撲取りのように太っていて(3,600グラム!)、朝潮のような顔をしていました。ですから生まれた当初は、誰からも可愛いという言葉もなく、親としては寂しい思いをしたものです。そんな広樹も、最近はすっかり可愛くなりました。でも相変わらず鼻が低く、むかし流行ったニコニコバッチのようです。
とにかく動き回る広樹は、生傷が絶えません。ある人は彼のことを「怪獣」と呼んでいます。今日も近所のわかば幼稚園のバザーに妻と行き、3回も行方不明になったそうです。そんな子どもですから、「よく3歳まで無事育ったものだ!」と夫婦で感心してしまいました。
今晩は広樹のために食事を作る約束をしていたのですが、英検セミナーが6時ぐらいまで長引き、すっかり手抜き料理になってしまいました。長男の一樹(5歳)と一緒に餃子を作り、余っていたトマトソースでスパゲティーも手早く準備。おふくろも呼び、広樹の誕生日を祝い、みんなでハッピー・バースデイ・ソングを歌いました。広樹がケーキのローソクを消す姿は、おふくろにも最高の贈り物だったと思います。そうそう誕生日のプレゼントは、トーマスづくしでした。トーマスのシャツ、パンツ、弁当、箸入れ、パズル、・・・。なにせ彼は機関車トーマスの大ファンなのです。
いつもは「お前がパパの耳鳴りの原因だ!」と怒ってばかりいるのですが、今日の誕生日は私にとっても感無量でした。子どもは可愛いものですね。でも、やはり広樹の面倒を見るとなると、1時間限界説が今だにあるようです。明日の午前中は少し時間がありそうなので、自転車にでも乗せてお焼き屋さんに連れて行ってやろうかなと思っています。何? 明日は知り合いの子どもがたくさん遊びに来る? ラッキー。じゃ、ガーデニングでもしますか。

長崎玄弥

今日はなぜか長崎玄弥先生のことを思い出してしまいました。先生には、ジョイにも何度も講演に来てもらったことがあります。いつもユーモアたっぷりで、やさしい先生でした。しかし、残念ながら、数年前、他界してしまったのです。
玄弥先生は「奇跡の英単語」(祥伝社)などの奇跡シリーズで有名ですが、きっと大学受験でこの本にお世話になった人も多いはずです。先生は知らない単語はないという人でした。それが本当だったかどうかは、私には分かりませんが。実は、単語や英文法だけが強かっただけではなく、先生は話す英語の方も本格派でした。しかも、長年海外へ行くことなくその卓越した英語力を身に付けた人だったのです。
私が初めて玄弥先生の講演を聞いたときのことを、今でも強烈に覚えています。それは先生が得意だった96型という口慣らし練習でした。ある英文を、現在形、過去形、未来形、現在完了形、過去完了形、未来完了形、現在進行形、過去進行形、未来進行形、現在完了進行形、過去完了進行形、未来完了進行形の12時制、しかも肯定形、肯定疑問文、否定形、否定疑問文の4つを1セットとして全部で48型、おまけにそれを受け身にして96型まで変えるという、それはそれはすさまじい芸(?)でした。
ジョイでのデビューは、第12回オール・イングリッシュ・デイ(1989年)の特別ゲストとして来たときでした。帯広から東京に帰る飛行機の中で作ったという自作の詩を送ってくれたのですが、それがなんと古い資料の中から出てきたのです! そこには「英語を勉強するのをギブアップしかけたときに読んで欲しい」とのメッセージがそえられていました。
      ***
空が晴れたら、思いだしてください。
英語の学習に泣き顔は、似合わないと。
雨が降っても、嘆かないでください。
雲の後ろには太陽がかくれんぼしています。
だいたいお天気に左右されるなんて、止めてください。
私の学びの道は、40数年晴れの連続でしたよ。
一日一語覚えたら、星を一つ拾ったと思ってください。
それを口に出したら、心の空に輝き始めます。
言葉は使わなくてはだめ。
声を伴わない言葉は、眠っています。
話す内容にこだわってはだめ。
心に浮かぶことをなんでも言ってください。
英語を話すごとに、あなたは地球から遠ざかります。
日本語はあなたの地球、そしてあなたはその引力の奴隷。
私は独りのときも、英語を話しました。
そして快速力で、地球圏外に逃れでました。
そこに私が作った小さな星。
それは英語だけの星でした。
帯広の夜空はきれいです。
星がキラキラとまたたいています。
それを見たら思い出してください。
一日も早く日本語の引力を断ち切ろうと。
昼も夜も英語に熱中していた私のことを。
小さくてもいいから、英語の星を作ってください。
アメリカの草花が日本の大地にも咲くように、
英語の星は、帯広の空にも輝くはずです。
      ***

カスタマーレビュー

「浦島久の玉手箱」によくコメントをくれる埼玉県在住の高橋さんが、私の著書『やさしい英語で自分を語る』(ジャパンタイムズ)をアマゾンから購入し、そしてカスタマーレビューも出してくれました。
「数年間英語の勉強はしてきたのですが、自分を十分表現するにはまだまだ足りないと感じテキストを探していた所、著者である浦島先生のブログで先生から直接ご紹介頂き購入しました。レベルは初級者が中級を目指す為に作られたという事で比較的ラクにトレーニングできました。英文は日常会話によく出る話題50に分れていて(自己紹介、ふるさと、大学 など)、さらにそれが1ページ毎の短文に分れ、日本語訳・語句の解説も書いてあります。付属のCDは40分ぐらいですので ちょっとした時間で気軽にトレーニング出来ます。テキストでは音読するようになっていましたが、私は毎日CDをシャドウイングしました。どちらでも大丈夫だと思います。ストーリーの中には自分の状況とぴったり合っている物もあり思わずニンマリしてしまいました。その中でビックリするようなオチも含まれていました。とてもトレーニングしやすく 良く作られている本でした。」
そして、有難いことに、おすすめ度☆☆☆☆☆をつけてもらいました。ネットショッピングはこんな形で一般消費者の意見をうまく利用しています。これはある意味「口コミ」の現代版かもしれません。
この機会に、私の他の本のカスタマーレビューをチェックしてみましたが、なかなか鋭い指摘もあり、とても勉強になりました。いくつかを紹介します。
『リスニング・チャレンジ30』(NHK出版)
☆☆☆☆★ 2005/09/05  レビュアー: ざざき 福岡県
 TOEIC600以上かその近辺の人向き。でも内容はこのお値段でいいのと言うほどお買い得。でもTOEIC600はないと答えられなくて挫折するかも。1年間毎日さぼらずにレッツスピークやビジネス英会話やその他何か英語の総合的な会話本やリスニング本を2、3冊やってからならいいでしょう。とてもお買い得ですがいきなり初心者からは出来ません。
☆☆☆☆★  2005/08/05  レビュアー: mk64  京都府
 この本はNHKラジオ「やさしいビジネス英語」の2000年4月から9月に掲載されたListening Challenge26の問題に新たに作成された4つを加え、合計30の問題で構成されています。難易度別に構成され、本も薄いので通勤の際の使用に最適です。各問題も長くなく、難易度もそれほど高くありません。また、英文の中には実際のビジネス場面でも使うことの多いものが掲載されているのでマスターすればスキルアップにつながると思われます。ビジネスマンで英語を使う機会のある方におすすめです。
☆☆☆☆☆  2005/02/24  レビュアー: キュウタロウ  茨城県
 難易度はかなり高めです。因みに私はTOEIC840点ですが、結構てこずります。それだけ、やりがいがあると思います。トピックの幅が広く、知的な会話が学べる、安くて骨のある、大人向けの英会話本というのが、そもそもあまり存在しない中、この1冊は本当にお勧めします。この内容で、CDがついて¥1470というのは、超お買い得。基本的にビジネス英会話ですので、リスニングのみならず、スピーキングにも効果を発揮します。また、語彙の習得にもつながります。これで満足のいくシャドーイングができれば、上級者に近づけること間違いないのではないかと思います。もっとも、キチンと基礎固めをしてからチャレンジすることをお勧めします。初級者では、このレベルにチャレンジしても身につかないと思います。最低でもTOEIC700から。
☆☆☆☆☆ 2005/01/26  レビュアー: okbokujo 大阪府
 私はTOEIC初受験では450点(うちリスニング195点)でした。あまりにひどいのでこのCDブックを買いました。気が向いたときに聴き、中身が気になったころにテキストを読むことを週に数回やっただけですが、約1年後に730点(うちリスニング385点)までスコアが伸びました。感激です。内容も社会人には親しみやすく、本当にいい本です。
『英会話お決まり表現160』(マクミラン)
☆☆☆☆☆ 2002/05/24  レビュアー: ほ蘭人 神奈川県 横須賀市
 サブタイトルの聞きまくって覚える!風のキャッチフレーズにひかれて買いました。①ダイアログ=とてもオーソドックスでクリアな発音で(当たり前?)速度も適度なので聞き取りやすいです の後に②各フレーズ=よく会話に使われそうな、覚えておくと得するゾ、というものが選びぬかれていて、それを新しいショートダイアログで勉強する そしてフレーズ学習を終えると再度初めの③ダイアログでだめ押し とCD学習が進みます。力の余り気味の人はテキストを見る必要はいっさいないかもしれません。そしてすぐに総仕上げのoverwrappingに入ることもできます。繰り返し聞いて聴いてききまくれば表現力はもちろんリズム、イントネーションもぐんと良くなります。ダイアログや応用会話もやさしい単語を駆使してこんなに豊かな事柄が言い表せるんだ、というものばかりで挫折しないような配慮も十分とみました。お薦めです。
『英会話・つなぎの一言』(懇談社インターナショナル)
☆☆☆☆★ 2003/08/12   レビュアー: 簿記受験生
 英語の疑問文をシチュエーション別に収録したもの。TOEIC のリスニングには Do. Does や 5W1H の疑問文が頻繁に出てくるが、これか結構聞き取れないのだ。特に会話パートでは一番最初に出てくるから、これが聞き取れないと後がさっぱり続かない。疑問文の聴き取りが苦手な人には訓練教材として価値があるかもしれない。また日常生活のシチュエーションで分類されているので、例文集として活用し、真面目に取り組めばボキャビルにも役立つだろう。ただし単語帳同様、例文集の羅列なので、反復練習の苦手な方には退屈な一冊になるかもしれない…。
以上。全体的には、好評のようです。少し安心しました。

テーブルマナー

今日は甥と一緒に六花亭の2階にある「ホーム」でランチを食べました。彼は大学3年生で、現在、帯広の企業でインターンシップの研修中です。一緒に食事をしていて気がついたことがあります。それは私が学生のときとは違い、フォークとナイフを結構うまく使いこなしているということです。
私が生まれてフォークとナイフで食事をしたのは、忘れもしません、高校2年生のときの修学旅行でした。今から35年前のことです。場所は京都。同級生の知り合いのおじさんが、私たち高校生3人をレストランに連れて行ってくれたのでした。
生まれて初めての経験に、私は固まってしまいました。目の前に肉があるのにどうやって食べていいか分からなかったのです。額から汗が流れ始めました。ただほっとしたのは、私だけでなく、他の仲間もやはり同じだったことです。そのときおじさんが小さな声で言いました。「最初からフォークとナイフを使えるのは誰もいないよ。でも、君たちはこれから世の中に出るのだろ。知らなくちゃ、恥をかくよ。だから私の真似をしながら食べなさい」。
みんな見よう見まねで肉と格闘しました。途中でナイフを落とすもの。キーという金属音を出すもの。まるで、それはコメディの世界でした。せっかくの肉の味など分かるはずはありません。とにかく皿の上の食べ物をゼロにするための戦いでした。でも、私は京都で出会ったそのおじさんに感謝しました。少なくとも、本格的な洋食を食べる機会を与えてくれた初めての人だったからです。そして、私にテーブルマナーの基本を教えてくれた人でもありました。
池田町では、高校の卒業生を対象に、毎年テーブルマナーを教えています。先日のプレジェクトXで十勝ワインが取り上げられましたが、元町長の丸谷さんの笑顔が最高でした。あの方の功績は偉大でしたね。ワインの生産だけで終わらず、ワイン文化まで追求して行ったのですから。

英語と私

今日の「英語で青春セミナー」は、予想をはるかに越える60名以上の参加者で、会場は青春がムンムンでした。3人のゲストの話もとても好評でしたが、その中のひとり篠河玲子さんの原稿を頂戴しましたので、それをこのブログで紹介したいと思います。
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「英語と私」 篠河玲子
昭和5年生まれの私は、終戦の時は旧満州で女学校、今の中学2年生でした。戦時中「英語」は敵国語ということで一切使ってはいけないと言われました。たとえばパンツとかズボンは英語だから、長ズボンは「長袴(ちょうこ)」。半ズボンは「短袴(たんこ)」と言わされ、インクは「青汁」と言った時代でした。ですから学校の授業もほとんど勤労奉仕で軍需工場へいったり、援農の毎日で学校の授業は全くという位ありませんでした。
終戦と同時に学校は占領され、引き揚げて来るまでの1年間は中国の内戦が続き、家の中に閉じこもっていました。終戦の翌年、やっと引き揚げてきて、帯広の三条高校へ転入し卒業証書を頂きました。殆ど授業らしいものは受けていませんので、英語はアルファベットの大文字、小文字の区別もつかない状態で、缶詰のレッテルさえ読めませんでした。
いまから40年位前に、初めてヨーロッパへ行きました。1ドル340円の時代です。ギリシャ・イタリア・フランス・イギリスと廻って、感動の連続でしたが、同時に言葉の出来ない悲哀を強烈に感じました。そこで帰国して未だ時差ボケも治らないのに、YMCAの英語クラスに通いはじめました。そこは若い人も一緒で、私のようにテキストに、カナをふらないと読めない状態では、ついてゆけず挫折しました。
50歳になった頃、同年代のグループで英会話を習いたいと、JOYの浦島先生にお願いして、シノカワサロンで英会話のクラスをスタートして今も続いています。しかし、一番忙しい時で、欠席ばかり。何年経っても入門レベルから進歩出来ずにおりました。
70歳になった時、「カリブ海クルーズ」にお誘いをうけ、世界一大きな船に乗ることになりました。パンフレットを見ると,乗客乗員4,500名。うち日本人は30名足らずと聞きました。
「10日間も船に乗っているのに英語が出来なくては大変だ!」と慌てて、浦島先生にお願いして、個人で特訓を受け、少しは英会話が出来るようになろうと、土・日以外は毎日1時間のレッスンを始めました。はじめの3ヶ月は、緊張で1時間の長いこと。終わる頃にはいつも頭が痛くなったことを思い出します。
レッスンを受けて間もなく、私の所属しているボランティア組織、国際ソロプチミストアメリカ連盟から、財団理事に日本代表で立候補して欲しいという連絡が来ました。 私は「とんでもない。英語が出来ないので駄目です!」とお断りしましたが「アメリカでの会議には同時通訳をつけますから、英語が出来なくても大丈夫です。是非・・・」と言われ、断りきれずに立候補を引き受けました。ほかにアメリカ連盟19ケ国から27名が立候補していて、審査の上、ノミネートされた8名が、2000年の連盟大会で選挙演説をすることになっていました。
場所はハワイのヒルトンホテルでした。「2,000人の前で、英語のスピーチ。さあ大変!」という事で、演説原稿を浦島先生に英訳していただきました。しかしそれは、当時の私にとっては、とても難しい原稿で「読めない」「意味がわからない」と、お先真っ暗でした。
そんな私を、「7月のハワイ大会まで、まだ3ケ月ありますから、練習しましょう。」と浦島先生は励ましてくださいました。ひと月は読む練習、次のひと月は原稿を丸暗記しました。先日「体験トーク」のお話を頂いた時、浦島先生が、「あれを読んだらどうですか?」と言われましたので、5年前の原稿を、探し出して読んでみますと、5年前はあんなに難しかった原稿が、すぐにスラスラと読めた事には、われながら驚きました。ということは70歳を過ぎて覚えたことでも、本気になって、しっかり頭の中に覚えこんだことは、忘れないことを発見しました。
このスピーチを丸暗記し、ハワイの舞台で、見上げるような大きなアメリカ人や、カナダ人など、8名の候補者と並んでスピーチしました。原稿も見ないで英語のスピーチをする、小さなジャパニーズに、満場は拍手喝采。その後の投票で、なんと断突で当選してしまい、アメリカ連盟の財団理事となりました。それからは毎年,年3回の理事会がアメリカやカナダであり、一人で出席しておりました。昨年秋に4年の任期を終了しましたが、その間毎日のようにアメリカからeメールが入りますので、浦島先生に読んで頂き、返事を書いて頂きました。
英語も出来ない私が、何とか無事に大役を終了出来たのは、まったく浦島先生のお蔭と感謝でいっぱいでした。今年で5年間、JOYに通わせて頂いておりますが、ふり返りますと、私のような高齢者に根気よく英語を教えて下さった先生に感謝する一方で、申し訳なくも思いました。中学生や高校生なら、どんどん覚えるでしょうし、その生徒が難しい大学に受かってくれる楽しみや、外国の立派な企業で活躍してくれる喜びがあり、教え甲斐がありますのに、私になんか教え甲斐がないと思います。
せめてどの位覚えられたか、何か証明する義務のようなものをと私は感じました。それで手取り早いのは「英検」を受けてみることだと考えました。ちょっと恥かしいと思いましたが、中学生に混ざって昨年1月に英検4級を受けました。そして6月に3級を、また続けて「10月に今度は準2級を受けてみます」と浦島先生に申しましたら、「準2級はまだ無理でしょう。あと1,2年は勉強しないと・・・」と言ったのですが、私は「試しに受けてみます!」と1年間に3つ目のテストを受けました。結果は先生の言われたとおり、3点不足で落ちました。今年1月は旅行中で受けられず、6月に準2級を受けましたら、幸運にも合格しました。実力はまだ全々無いのにJOYで英検のセミナーをして下さったり、2次試験の特訓をして下さったりと、そのお蔭でした。
来年は英検2級を目指して、健康の限り英語の勉強を続けようと思っています。

心を込めて

明日は「英語で青春セミナー」です。60歳以上をターゲットにしたジョイとしては初めての試みになります。参加予定者も目標の50名ほどになりました。
イベントの前日、私がよくやることがあります。それは心を込めて会場の準備をするということです。まず最初にセットするのはCDプレイヤー。当日、会場で音楽を流すという目的もあるのですが、準備がより楽しくなるように自分のためにCDを流します。今回はセミナーがセミナーだけに、60年代の懐かしのポップス、しかも少し元気が出る明るいものを選びました。
音楽をかけながら、会場に机とイスを並べて行きます。何度もイスに座り、講師の顔が見づらくないかチエックします。今回は対象が60歳以上の方ということもあり、なるべくスペースをゆったり取れるように机は2人がけにしました。後は、レクチャーアンプとマイクをセットして終わりです。
心を込めて準備をしながら、明日のセミナーがうまく行くように祈る。こうすると、なぜか「絶対うまくいく!」という自信が湧いてくるから不思議です。この儀式は、私がオール・イングリッシュ・デイなど、ジョイを代表する大きなイベントを始めた28年前からやっています。
明日は天気も回復しそうです。敬老の日の1時間半、集まったみなさんが満足してくれる空間が創れると嬉しいです。いや、きっと創れます。

ハーモニカ

ハーモニカという言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべますか? 「小学校の音楽室」「夕焼けの丘」「はな垂れ小僧のハーモニカ少年」・・・。私の場合は、すぐ「千葉智寿さん」という名前が出てきます。あの小さな楽器から生み出す彼の音楽に私はすっかり魅了されている一人です。その千葉さんが、レインボーホールで開かれる「全道ハーモニカコンサート」にゲスト出演するというので、久しぶりに聴いてきました。
千葉さんは、1954年12月5日(私と一日違いの誕生日)夕張市生まれ。射手座、O型です。17才の頃、黒人ブルースのハーモニカプレイヤー「リトル・ウォルター」のアルバムに衝撃を受け、ブルースハープ(10穴ハーモニカ)を始めました。これまで、1988年 F.I.H.JAPAN主催日本ハーモニカコンテスト・ブルースハープ部門第1位。1990年日本ハーモニカ賞を受賞。また1995年のワールドハーモニカチャンピオンシップス(国際大会)での上位入賞など、国内外において多くの受賞経歴を持っています。
千葉さんと知り合ったのは、遠音のメンバー、曽山良一さんの紹介でした。今から4年ぐらい前のことです。その頃、千葉さんがちょうど2枚目のアルバム「ノーザン・コンフォート」を準備していました。彼が表現したかった北海道の心地よさを感じることができるアルバムでした。それで父、浦島甲一が残した作品の中でも私のお気に入りの1枚をCDのカバー写真に提供させてもらったのです。
今日は30分ぐらいの時間で、ギターの関ヒトシさんと息の合ったご機嫌な演奏を5曲披露してくれました。中でも千葉さんのオリジナル「ノーザン・コンフォート」が最高でした。会場は、年配の人が中心に8割方うまっていたのですが、とにかく拍手の音が大きかったのが心に残りました。やはりハーモニカの愛好家の方々はマナーがいいのでしょう。

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