JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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Uターンラッシュ

年末年始を故郷などで過ごした人たちのUターンラッシュが、3日午後ピークを迎えたようです。新幹線や各地の空港、高速道路は夜遅くまで混雑していることでしょう。報道によると、盛岡発東京行きの「やまびこ56号」が仙台駅で200%を記録。博多発東京行き「のぞみ18号」も岡山駅で150%となったそうです。
都会から故郷に帰省したみなさん本当にご苦労様でした。と言いながら、なぜか私の心の底には、「あのまま松下電器に勤めていなくてよかった」という思いがあります。宇都宮の関東特機営業所まで一緒だった同期の I 君からの年賀状によると、松下電工に転籍になったそうです。住所は金沢。私も多分同じような運命をたどっていたはずです。金沢から帯広は遠い! そして、一家で帰ろうものなら冬のボーナスは吹っ飛んでしまうことでしょう。
それ以上に大変なのは、不安定なこの時期の旅行です。上越・北陸地方が大雪のため、金沢発上野行きの特急「北陸」など夜行列車の上下計6本が運休したそうです。次の列車を駅で待ったり、列車をあきらめバスで移動したり、ウーン考えるだけで疲れてしまいます。若いときはいいのですが、年をとると、故郷に近い場所で住むメリットが大きいということを再認識します。23歳の冬に十勝に住む決心をして本当によかった。人生で一番の英断だったかもしれません。
同じことをどこかで読んだことがある、と気づいた人もいるかもしれません。確かに同じような内容をお盆休みの頃にこのブログに書いた記憶があります。それだけ、この時期になるとしみじみ思うのでしょう。寒いとか、何もすることがないとか、いろいろと言っていても、やはり私には帯広が唯一の町なのです。
そう言えば、ジョイのアメリカ人講師第1号のハリーさんとエツコさんからの年賀状には、滝川に大きめの家を建てたと書いてありました。ジョイを去った後、エツコさんはアメリカのヒューストンや東京で国際的な一流企業に勤務し活躍しています。その彼女たちが、退職後はなんとエツコさんの故郷、滝川で暮らすことを考えているようです。そして、今年はその新しい家でお正月を過ごしているとか。エツコさんたちもテレビでUターンラッシュを見ながら、「かわいそうね、この人たち」と呟く日がきっと来ることでしょう。

年賀状

お正月と言えば、やはり年賀状です。そして、我家にも1日そして2日と年賀状の配達がありました。数年前に一度は年賀状をもらうわくわく感が薄らいだ時期もあったのですが、最近になって再び受け取る楽しみが増えて来たようです。それはひとつにはパソコンの普及と関係しているのだと思います。
以前とは違い、私のところに届く年賀状の半数以上は会社関係からです。つまり、ほとんどが無味乾燥の年頭の挨拶だけで、決して読み返すようなものではありません。中には会社名だけで、誰が出して来たのか、なぜ私がこれを受け取っているのか、分からないものまであります。
ところが、妻に届く年賀状は実にカラフルです。家族の写真が入っていたり、ペットが写っていたり、中には毎年のように海外旅行のスナップを使っている人までいます。明らかに印刷屋に出しているものもありますが、中にはプロ顔負けのレイアウトで自分でパソコンを駆使して作っているものもあるようです。
昨年末に読んだニュースによると、今や3人に2人がパソコンで年賀状を作成しているそうです。確かに、私宛に来る年賀状もパソコンで作ったものが増えました。同時に手書きのものは激減しています。中には、1月1日に電子メールで動画の年賀状を送ってくる人たちも出て来ました。これはここ数年の傾向で、これまでは私のパソコンの機能では開けることができなかった場合が多かったようです。でも、今年は難なく開けて全て読むことができました。パソコンの機種を昨年変えたおかげでしょうか。
日本のお正月らしい光景が年々減ってきています。こんな時代だからこそ、年賀状ぐらいはこれからも残して欲しい習慣です。1月1日にパソコンを開くと、動画の年賀状が何百通も届いていたなんていうお正月はいやですよね。これじゃ、新年早々疲れてしまいます。みなさんもそうじゃないですか? 

Happy New Year

新年明けましておめでとうござします。昨日の大晦日はどうでしたか? 我家は、予想に反して妻が子どもたちを早く寝かせて、居間に戻って来てしまいました。格闘技嫌いの妻と紅白を見るはめになったのですが、私の心は格闘技モード。しかも、紅白に登場する最近の歌手はほとんど分からず(私も年をとったものです)、妻の目を盗んではチャンネンルを変えていました。
それでは、みなさんに約束していた私の2005年度5大ニュースを発表します。
第1位 ブログ「玉手箱」開設(1月)
 こんなに続いてしまい、私もビックリ。「浦島久の玉手箱」に800字程度の話を毎日書いています。おかげで一日一日を大事に生きる習慣ができました。1月20日で1年です!
第2位「音読コース」がスタート(4月)
 長年の経験から生み出したのが「英文直解・音読コース」。高校2年生が英検準1級、他に5人の高校生も2級に合格しました! まだまだ受講生は少ないのですが、効果は証明されたようです。
 
第3位 夢のトークショーで司会(3月)
 NHKの人気講師(杉田敏、大杉正明、遠山顕、マーシャ・クラッカワー)によるトークショー(東京アメリカンクラブにて)の司会を担当させてもらいました。宙に舞うような幸せな1時間でした。
第4位 中学教科書に浦島甲一(5月)
 今年度から使用される英語教科書「中学英語3年ONE WORLD」に、父の話が6枚の十勝の風景写真とともに4ページにわたり取り上げられます。7月には帯広市内に常設の写真ギャラリーもオープンしました!
第5位 英語落語に136名(10月)
英語EXPOの会場には高座が用意され、まるで演芸場。特別ゲストとして大阪から招いた落語家、桂かい枝さんの英語落語に大笑い。私もこんなに笑ったのは久しぶりでした。
        ☆      ☆       ☆
今年もみなさん楽しくやりましょう!

大晦日

朝刊を見て驚きました。なんとPRIDEが6時からスタート、しかも11時45分までじゃありませんか。6時と言えば、我家ではちょうど年越しの食事が始まる時間です。悪い予感が当たり、今日の年越しはとにかくせわしくて、落ち着かないものとなりました。せめてもの救いは、先日、ジョイのS先生が、「私はやはりPRIDEをビデオに撮りたい!」と言い出したことです。
こんなに見たい番組が重なっては、ビデオが1台では足りません。そんなことから、昨年から3人が組になり紅白、PRIDE、K1をそれぞれ録画するシステムを作っています。私は比較的短いK1で助かりました。S先生は、終了までの約6時間をビデオに撮るのに、何本テープが必要なのでしょうか?
年越しに私のおふくろも招いたのですが、大晦日になると必ず出る話があります。それは、「電気屋をやっていた頃は、紅白歌合戦が始まっても店を閉めることができなかった」という昔話です。確かに、どういう訳か、紅白が始まる頃に必ずテレビが壊れる家庭が出てしまい、働いていたお兄ちゃんがトラックを飛ばし修理に行くというのが我家の大晦日の光景でした。結局、家族団らんで紅白を楽しむことができたのは、10時ぐらいからだったような気がします。
当時は週休2日制とはほど遠く、休みは正月元旦だけ、日曜日もなくおやじたちは働いていました。時代は変わったと思っていたのですが、ニュースによると多くの大型店が元日から営業するようになってきたようです。ウーン、考えさせられます。大きな店は、その後ローテーションで代わる代わる休めばいいのですが、小さな店はそれができません。商人はいつの世も大変ですね。
それにしても、小川と吉田の対戦が楽しみです。これからゆっくり見るとします。では、今年もお世話になりました。楽しいそしてエキサイティングな年越しを!!

かまくら

いよいよ今年も残すところ明日だけになりました。みなさんは、そろそろ年越しの準備をしているのでしょうか? 私はまったくしていません。今日一日ジョイにこもり(?)、新しい本の仕事をしていました。
さすが12月30日です。ジョイを訪れる人は、宅急便、灯油業者、コンピュータの保守業者ぐらいでした。電話も、沖縄に遊びに行っているという友人からかかってきただけ。そして、私のブログにもコメントがひとつも入りませんでした。年の瀬とは、こんなものなのでしょうか。おかげで私の仕事もかなりはかどりました。
机に向かい、辞書を見ながら例文を作ったり和訳を考えるのですから、1時間もすると体が堅くなってしまいます。今日からは、妻のすすめもあり、区切りのいいところでストレッチをすることにしました。静まり返った教室を使い、好きな音楽を流しながらやっていると、以前通っていたスポーツジムのことを思い出しました。
仕事の進みが順調だったので、自宅でのコーヒーブレークの後に、子どもたちと雪を集めかまくらを作りました。そして、暗くなってから中にロウソクを立てて火をともしたのですが、これがきれいで、子どもたちも大喜び。結局、同じようなかまくらをもう2つ作るはめになりました。
明日は大晦日、我家におふくろを呼び、一緒に年越しをすることになっています。長男の提案で、火を灯したかまくらでおばあちゃんを歓迎しようということになりました。妻は、病気を克服した感があるおふくろが今年一番がんばった人ということで、花束のプレゼントを用意しているとのこと。気がきかない息子の私より、妻や子どもの方がよほど立派なようです。

決定! ジョイ5大ニュース

今年もいよいよわずかになりました。ジョイの冬休みの講習会も今日で終わり、これで2005年の全てのプログラムが終了です。今年もいろいろなことがありました。22日のクリスマスパーティーで発表された「ジョイ5大ニュース」の結果をお知らせします。
第1位/ 茅野夫妻に第一子誕生! <12月>
第2位/ 桂かい枝さんの英語落語が大人気「英語EXPO2005」<10月>
第3位/ 浦島学院長、夢のトークショーで司会 <3月>
第4位/ ブレーデンが弓道初段に合格 <5月>
第5位/ 中3教科書に浦島甲一の写真が採用決定 <5月>
第1位の茅野夫妻に男の子が誕生したのは、今年の最後を飾るおめでたいニュースでした。タイムリーに冬休みになり、茅野先生も今頃は子どもがいる幸せを味わっていることと思います。でも、それは歩き始めるまでです。それからが大変。目が離せなくなります。私の苦労がすぐ分かるはずです。
第2位に入った英語EXPO2005は、桂かい枝さんの存在感が際立っていました。とにかく私も笑わせてもらいました。多くの参加者のリクエストに応え、来年の英語EXPOにかい枝さんが再登場します。しかも、大杉正明先生の特別参戦決定(プロレス的な表現ですいません。それにしても大晦日の小川と吉田の対戦が楽しみです)! これは英語界の一大イベントになる予感がします。10月29日はいまから赤丸を!
第3位に私の夢のトークショーが入りました。こんな経験は最初で最後と考え、藤丸でスーツを新調し行ってきました。その後、そのスーツは着る機会はありませんでした。次に着るのは、来年の6月に声がかかった東京の大手英会話学校での講演のときになりそうです。
第4位はブレーデンでした。弓道をやっていることは知っていたのですが、初段合格はお見事。私はこのかた「段」を持っている分野はありません。あるとしたら、我家にある「階段」ぐらいでしょうか。
第5位は私のおやじネタ。でも、これってすごいと思いませんか? 教科書ですよ。しかも、全国で使われる可能性があるのです。日本の英語界では、私よりも「Thank you」ぐらいしか話せなかったおやじの方が有名人になりそうです。
この5大ニュースは、あくまでも社会人クラスの生徒が選んだものです。1月1日元旦には、私が選んだ「私の2005年5大ニュース」をこのブログで発表したいと考えています。

4年ぶり

机に向かいない頭をこんなに悩ましたのは、3年ぶりです。今日から新しい本を書いています。ジョイの創立25周年を記念して出版した『やさしい英語で自分を語る』(ジャパンタイムズ)以来、スランプと言いますか、なかなかやる気になれず、これまでズルズルきてしまいました。1985年に初めての著書を出してから、3年間も新刊を作ることができなかったのは2度目です。
1994年に出した『英語の決まり文句』(ジャパンタイムズ)が期待に反して不発に終わり(とてもいい本だったのですが)、それまで積み重ねてきたチャンスが消えかけました。私のような無名な者は、とにかく毎作が勝負なのです。一度でも売れなければ、「それで終わり」ということになります。そして、その時が遂に8作目でやってきたのでした。
それからというもの、出版社にいくら企画を持ち込んでもなかなかOKがでませんでした。そして、長いトンネルを抜け出すことができたのが、『英会話のかんづめ』(旺文社)。1988年、4年のブランクがありました。今回も発行が来春になりますので、やはり4年という年月が経過することになります。
今回は音読やシャドーイングの練習をすることができる、スピーチを使った本を計画しています。版元もこれまでとは違う会社で、とても勢いのあるところです。そんな訳で、私も久しぶりに乗ってやっています。この冬休みを逃すと、まとまった時間がなかなか取れなくなるので、精力的にがんばるぞー。
2006年は、もう1冊企画が通っています。チャンスがあれば、さらにもう1冊! 欲張り過ぎでしょうか。まあ、体を壊さない程度にやります。出たときには、みなさん、ぜひ1冊買ってください。来年はアウトプットの年になりそうです。

釧路の夜

釧路から帰って来ました! 帯広を離れていたのは4日間でしたが、戻ってきてホッとしています。やはり私には十勝の風土が一番合っているようです。この土地以外では生きて行けそうにありません。
北海道教育大学釧路校で講座を担当して5年目になりますが、今回の受講生はなんと4名だけでした。理由は、教職希望者向けの集中講座が同時期に開講されたからのようです。大晦日にあるK1の裏番組にPrideをぶつけられたような心境でした。しかも、この4名が静かなのです。正直、どうなるか不安でした。でも、最後は4人とも人前で堂々と話すことができるようになり、本格的なデイベート(初めて1人制に挑戦!)を披露してくれました。吸収が早く、潜在能力の高さが印象的でした。
釧路で一番困るのは、夕食を食べる場所を見つけることです。あるのは居酒屋や炉端ばかりで、私のようにお酒を飲まない者が一人で入るには抵抗感があります。1日目は、いつものようにコーチャンフォーで本やCDをチェックした後、「なごやか亭」で回転寿しを食べました。ところが、それ以降がたいへんでした。
2日目は、繁華街(と言っても、人通りは本当に少なく、帯広の比ではありません)を歩いていて、ハンバーグ屋を発見。それが20年ほど前まで帯広にあった「ドラゴン」という洋食屋さんを思い出させるようなレストランでした。手作りのハンバーグが鉄のプレートにのり、野菜が添えられ、むかしよく食べた味そのものでした。創業30年の店だそうです。翌日も、ここで食べたいと思ったのですが、月曜日は休みと知りガックリ。
3日目は、釧路の知り合いから紹介されたトンカツ屋に直行すると、なんと休みでした。結局、喫茶店で教えてもらったイタリアンの店に入ったのですが、これがすごいミスマッチ。イタリアンと言いながら、それっぽいのは椅子だけ。テーブルは民芸風。壁には、洋風の飾り物に混じり、アイヌの木彫りがありました。それにバドワイザーのネオンが光り、流れる音楽はデイスコ調。しかも、私の横のテーブルにはロシア人が! これが釧路的なのかもしれません。
ところで、「釧路の夜」を歌ったのは、確かあの美川憲一でしたが、どんな歌だったでしょうか? ふと気になりました。

クリスマス

我家には2日早くクリスマスがクリスマス。私が23日の夜から釧路に向かわなければならないこともあり、この3年ぐらいは変則スケジュールです。
ジョイは昨日のクリスマスパーティーで今年の授業が終了ということで、クリスマスツリーは片付けられるところでした。お願いして一日延ばしてもらいました。なにせ我家のツリーは、とにかく小さいのです。電球がやけに大きく見えるツリーで、プレゼントを置くスペースがツリーの下にはありません。
午前中に子どもたちへのプレゼントをバッキーホールに飾られたクリスマスツリーの下に並べ、準備完了。2時45分に、ジョイから走って我家に行き、子どもたちに「ジョイにサンタクロースが今来たよ。早く会いに行こう!」と言うと、子どもたちは無邪気に大急ぎで走り始めました。
でも、バッキーホールにはサンタの姿はありません。「今日は忙しいからもう次の子どもの家に行ったんだね」と言うと、子どもたちは少しガッカリ。でも、次の瞬間、ツリーの下にはプレゼントがいっぱい。一目散で開け始めました。トーマスのパズル、ボードゲーム、ダーツ、その他。普段から、欲しいとサンタさんに頼んでいたものが目の前にあります。
でも、一番人気は、ジョイから家に帰る途中、近所のさよちゃんにもらったウォーキービッツ。知っていますか? 聞くところによると、今年最大の人気商品だそうです。オモチャのカメが、歩いたり走ったり、リズムを真似して歩いたり、電子音をかなでたりします。これが可愛い。やはり私の子どもだけあり、カメには親しみを覚えるようです。
7時46分の列車で釧路に向かいます。みなさんも楽しいクリスマスを!

クリスマス・パーティー

ジョイは冬季講習会を除き、年内の授業は今日で終わりです。夜7時から社会人クラスのクリスマス・パーティーがありました。今日は生徒とスタッフ、そしてJICAの10名を加え、50名ぐらいの参加者で会場のバッキーホールは終止いい雰囲気でした。
今年の特徴は、高校生からシニアまで、幅広い世代の人たちが集まったということです。シニアの生徒さんから、「クラスがとても楽しいです。死ぬまでここに来てもいいですか?」「ボケるから絶対ジョイはやめないように家族から言われています」なんて話を聞くと、本当に嬉しくなってしまいました。
高校生もベトナム、パラグアイ、ケニア、インドなどから来たJICAの研修員に果敢に話しかけていました。そんな姿を見ると、これまた嬉しくなってしまいます。「国によって英語が違いますね」と言っていたH君にとっては、今夜は貴重な経験になったことでしょう。高校生の頃からこんな機会があるのは、私たちの世代にとっては、羨ましい限りです。
JICAの10名をタクシーに乗せ送り出すと、私の役目は終了です。本当に1年間スタッフのみなさんご苦労様でした。そして、ありがとうございました。ジョイは今日で今年は終わりですが、私は明日から釧路に行き、北海道教育大学の3・4年生を対象にした4日間の集中講座を担当します。こうして、1年間仕事ができたのも、おふくろの健康が回復したこと、家族の協力があったことです。感謝、感謝で、今年の締めくくりの仕事に全力投球してきたいと考えています。

Hi there!

NHKラジオの「ビジネス英会話」1月号のテキストが今日届きました。何と言っても、私の一番の楽しみは講師の杉田敏さんが書いているコラム「はじめに」です。毎回、内容のおもしろさだけでなく文章のうまさに感心してしまいます。いつかこんなコラムを書けるようになるのが、私の目標です。
今回の話は、50年前(中学1年か2年生だったそうです!)に初めて文通をしたアメリカ人のペンパルから、突然メールをもらい驚いたというものでした。その方は杉田さんと同い年で、現在はある大学の学部長だそうです。偶然、テンプル大学ジャパンの理事の中にSatoshi Sugitaという名前を見つけて、今回、半世紀ぶりに糸がつながりました。
コラムでは、『英文手紙の書き方』という本を買い、生まれて初めて英語で手紙を書いたというエピソードも紹介されています。本に並べられた例文を必死でマネて英文を書いている杉田少年の姿が目に浮かぶようです。メールという文明の利器がなかった当時は、みな同じような経験をしたに違いありません。
私が生まれて初めてもらった海外からの手紙は、差出人が私でした(?)。住所か名前を書き違えて戻ってきたのです。でも、その赤と青で縁取りされたエアーメールを郵便受けに見つけたときは、体の中に流れる血液が熱くなりました。
投函してから返事が来るまで最短で2週間も待たなければならなかった時代、届いた手紙は全てが宝物でした。記憶力が自慢の杉田さんによると、最初の返事はHi there!で始まっていました。本ではDearから始めると書いてあったのに、「Hiとは何だろう?」と不思議の思ったそうです。
英語を勉強し始めたときのあの興奮。いつまでも忘れたくないですね。今は日本のビジネス英語の巨匠、杉田敏さんもこんなかわいい頃があったのです。いい話だと思いませんか?

清原がオリックスに

私が好きな清原が遂にオリックス入りを表明しました。10月1日に巨人を自由契約になってから、決断まで81日も要したのですから、彼もかなり悩んでの決断だったことと思います。できれば巨人と対戦の機会が多いセ・リーグの球団への移籍を希望していたようです。
しかし、これは巨人にとってもとっても辛いことだったと思います。少なくとも清原は巨人では一番人気の選手でした。それがチームを去るに当たって、ファンに球場で挨拶するチャンスを自ら断ったのです。「巨人で骨を埋める!」宣言していた男が、巨人に裏切られ(?)復讐に燃えるのですから、プロレスの仕組まれた遺恨試合とは比べ物にならないドラマになります。
清原と巨人の関係ほど悪化したものはありませんが、これまでの28年間でやはり気まずい形でジョイを去ったスタッフが何人かいました。でも、そんなときに私が心がけたことは、なんとかお互いコミュニケーションが取れる程度の道は残しておきたいということでした。どこかで顔を合わせたときに、「元気?」とお互い気楽に声をかけることができないのは寂しいことです。
清原は、「引退しようか悩み、心の整理がつくまで時間がかかりましたが、やはり野球をやりたい。地元大阪、自分を育ててくれたパ・リーグのために、来季は大阪で頑張ります」と涙を流しながら語っていました。514本塁打は歴代4位の山本浩二(広島)の536本にあと22本と迫っています。男なら頑張れ、清原! 私は清原の活躍に期待しています。来年度はオリックスも応援したいと考えてオリックス。

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