大学の街 AnnArbor MI
カナダでのキャンベル一族の集いの後、ちょっと寄り道をしました。
ミシガン州アナーバー(AnnArbor)はデトロイトから高速にのって約40分ほどの学園都市です。貧乏学生だった時デイビッドと暮らした懐かしのアナーバーです。
当時私達は、まぁ、びっくりするくらい貧乏でした。デイビッドは基本的に修士課程の学生でしたから、合間をぬって大学の教授の手伝いやらレストランのウェイターをしてました。あの頃ミシガン州は空き缶1個10セントで買ってもらえたので、バイトの帰りにたくさんの缶が拾えた日は、「でかした!でかした!」とデイビッドをほめてあげました。
☆ここはデイビッドがウェイターをしていたレストラン。昔はスペアリブの美味しい
しゃれたレストランでしたが、今は地ビールのレストランに変わっていました。
☆広いキャンパスは緑がいっぱい。こんなに丸々太ったリスもいっぱいウロチョロしています。
☆この大きなMのサインはミシガン大学のロゴ。ブルーとゴールドがスクールカラー。
たくさんの有名クオーターバックを生み出したミシガン大フットボールチームは今も健在。
☆”Go Blue”は街のあちこちでみかけるサイン。フットボールの応援も”Go Blue”の大合唱。
でも、このTシャツはいただけません。誰が訳したのか知りませんが、これを「青に行く」
と訳した人のセンスを疑います。これは、「行け!青!」でしょう、やっぱり。
アナーバーでは少しでも生活の糧にと、私も教育比較研究プロジェクトの下働きをしたり、週に一度日本人補習校で教えたりしていました。当時マツダがフォードと組んでイケイケの好景気で、デトロイト周辺に日本企業が多かったです。
補習校も広島からの子ども達がいっぱいいました。在米日本人が優雅な暮らしをしている一方、私達はおんボロのアパートで、テレビもない生活でした。もちろん車など買える身分ではなかったので、全て徒歩。たまにキャンパス内を走るバスが遠出の手段。そのバスにも乗せてもらえず、中古で買ったイス2脚を3キロ以上離れたキャンパスの端から端まで抱えてアパートにたどりついた時のことは忘れられません。若かったからできたことです。思い返すと、生活は大変だったけど、不幸ではありませんでした。貴重な友人もたくさんできました。当時ご飯を分け合ったあの貧乏学生達は、大学教授、JICAの専門員、精神科医などさまざまな分野で活躍しています。人生とは面白いものです。
☆日曜のファーマーズマーケットは私の好きな場所でした。新鮮な野菜や果物、手作りの品が並びます。アーミッシュの家族も野菜を売っています。このブルーベリーは1パウンド(450グラムくらい)でたった3ドル。250円ほどでした。
☆旧友にも会えました。
正味3日間ほどの滞在でしたが、ミシガン大のキャンパス、私が通っていたコミュニティカレッジを訪ねたりできました。
“Go Blue”☆毎日にように通っていた大学院図書館。この広場に、ネルソン・マンデラはこんな所にいる!と書かれた畳1畳ほどの掘建て小屋がありました。私はここで初めて南アフリカで拘束されているマンデラさんの存在を知りました。
☆9月の新学期を迎え、キャンパスのあちこちで新入生のためのオリエンテーションツアーが見られました。これは中国人学生の一団。親も一緒です。なんだかなぁ、、。ま,日本も他人のこと言えませんが。
☆大学院生が使える学習部屋。昔と一緒でした。ここのソファの座り心地は最高です。
大学の素晴らしいところは、学ぶものには平等に門戸をひらいていることです。
デイビッドがよく使っていた大学院図書館には10日遅れの日経新聞があって、それが唯一日本のニュースを知る手段でした。今はインターネットが普通のツールになったせいか、さすがに新聞は見当たりませんでした。 街角のあちらこちらにあった無料の新聞箱も無くなっていました。 当時からコンピューターは学生にとって必需品でしたが、ネットはまだまだ普及していませんでした。テレビは無いくせに、我が家には3000ドルもするマッキントッシュがあって、デイビッドに何度も「これで日本のニュースも読めるようになるんだよ」と言われても、「この葉っぱが小判になるんだよ」くらいにしか思えなかったものです。
アナーバー発祥の大手書店、ボーダーズ(トム・ハンクスとメグ・ライアンの映画のモデルにもなった)が閉店セールをしていました。やはりネット販売のアマゾンには勝てなかったようです。時代の流れを感じます。
☆このアパートの二階、左側に住んでいました。なんと、びっくり。今でも住んでいる人がいるみたいです。
ただ、おんボロのアパートは意外にもそのまま残っていました。懐かしくて胸が熱くなりました。あの頃の自分が玄関のドアを開けて出てきそうな気がしました。そうしたら、どんな言葉をかけてあげようか、想いを馳せました。デイビッドにとっても、私にとっても23年ぶりの感慨深い旅でした。