ミャンマーってどんな国?
7月1日から1週間ミャンマーに行ってきました。今回は首都ヤンゴンのJICA事務所に勤める友人を訪ね、そこを起点に周辺を少し回りました。
1989年現在の軍事政権によって、「ビルマ」から「ミャンマー」に変更された国です。人権運動の象徴的な存在、アウンサン・スーチーさんは自宅軟禁され、現在もたった一人で拘束されたままの暮らしを強いられています。 初めてのヤンゴンは最初から衝撃的でした。ベトナムやタイもインフラの整備などでは未だ発展途上の感をまぬがれませんが、それでも、基本的に元気があります。国民に希望があります。しかし、ミャンマー滞在中現地のガイドさん、市民、日本企業や政府からの派遣員のから聞こえる声は、大方悲観的でした。『自由』がないのです。新聞や雑誌、テレビは政府に厳しく統制されています。インターネットの利用もままなりません。突然発表される「新規則」は理由も告げられないまま、即実施されます。国民は「噂」でしか情報をえることができません。民主化がすすまないので、外国からの資本も撤退し、援助も先細りになっているため、インフレがさらに国民の生活を苦しめています。天然資源にも恵まれ、敬虔な仏教徒、働き者のミャンマー人が大多数のこの国は、まだまだ発展する可能性にあふれています。本当に残念です。
ヤンゴン市内のパゴダ(お寺)を案内してくれた若い女性のガイドさんに、「この国に一番必要なものは何だと思いますか?」と聞いた所、「教育です」ときっぱり。彼女は志を同じくする仲間数人と、出張学校を行っており、エイズで親を亡くした孤児や、十分な教育を受けられないこどもた達のもとに出向き、算数、国語、美術、英語などを教えてあげているそうです。でも、これは「5人以上の集会を禁ずる」軍事政権下においてはきわめて危険な行為です。彼女のお兄さんもスーチーさんの父、アウンサン将軍の記念チラシづくりを手伝っただけで、7年間も刑務所に入れられました。裁判も調停もなにもなく、即刑が実行される強権政治なのです。
日本に帰って来て、『自由』の空気を胸いっぱい吸いました。行きたい所に行け、言いたい事を言え、新鮮な情報が世界中から即時に手に入るこのすばらしさ!本当に学ぶ事が多い旅でした。