JOY(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー)

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バラが咲いた

今日は過ごしやすい一日でした。そして、我が家でも待望のバラが咲きました! 「バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが」なんて歌っていたのはマイク真木ですが、いまだにこの歌を歌っているのでしょうか?
花の季節になってから、それまで元気がなかったおふくろが俄然張り切りだしました。先日は、なんと生意気(?)にも、花壇に花を植えようとしていた私に向かって、「久は何もできないねー」なんて言い出しました! ところで、ジョイの入り口やカウンターに花が飾られるようになりました。おふくろが1週間に2回ほど来て、入れ替えています。花は全て庭で栽培したものです。
私も52歳。この年になって、生活にも変化が現れ始めています。「庭いじりなんてジジイ臭い」なんて考えていましたが、やり始めるとこれが精神的にいいのです。花や芝生に水をやったり、周囲をほうきで掃除するのも気持ちをリフレッシュさせてくれます。このままガーデニング大好き人間に突入なんてことになるかもしれません。
日々の仕事に追われ、週末もなく働いている私ですが、たまには立ち止まることも必要なようです。今週末に東京からゲストがまた来る予定でしたが、キャンセルになりました。そうです、またバラを買いに行こう! そして、真っ赤なバラでも咲かせましょう。これで私の人生もバラ色? なんちゃって。

日韓TOEICスコア比較

今日はTOEIC運営委員会からアシスタントマネジャーが訪ねてきました。その際もらった資料の中で、私が特に注目したものを紹介します。それは日本と韓国の平均スコアの比較です。今や韓国でもTOEICは英語能力テストとしてその地位を確立しています。この数字は2002年から2003年のデータです。その数字から分かることは、日本と韓国の英語力の差が歴然としてきたということです。
リスニングの平均スコアでは、日本が251点に対し韓国は283点。リーディングでは、日本は200点しかとれていませんが、韓国は254点と、54点もの差ができています。トータルでは、日本451点で韓国は537点というのですから、情けなくなってしまいます。TOEICのスコアからレベルを推測できない人のために、目安を紹介しましょう。
レベルA:860点以上(Non-Nativeとして十分なコミュニケーション能力を持っている) レベルB:860〜730点(どんな状況でも適切なコミュニケーションが出来る素地を備えている)レベルC:730〜470点(日常生活のニーズを充足し、限定された範囲内では業務上のコミュニケーションが出来る) レベルD:470〜220点(通常会話で最低限のコミュニケーションが出来る)
つまり日本はレベルD、そして韓国はレベルCにランクされます。昇進・昇格にこのTOEICスコアを必須とする制度が日本企業の間に広ま ってきました。私が以前勤めていた松下電器産業では、主任になるためには2001年度から450点以上を要求しています。つまり、極端な話をすると、日本人の平均スコアでは松下の主任にはなれないのです。
機会があれば韓国の英語教育もぜひ見に行きたいものです。私が書いた英会話の本が5冊も韓国で翻訳されているのですから、もしかしたらVIP待遇で迎えてくれるかもしれません(?)。ぜったい行ってこの目で見てくるぞー。

祭りの後

「ゆかいな仲間たち」が終わりました。イベントの後に疲れがドッとくるものです。昨日はゲストの皆さんを空港に送った後、自宅に戻り12時間も寝てしまいました。そして、結局、ブログも書けませんでした。
参加者からのコメントが届いています。一部を紹介したいと思います。
(1)久しぶりに授業をうける立場に身をおくことが出来ました。こんご自分の中でどのように質的変容がなされたのか楽しみです。久保野先生のお話は英語教育を通して平和な国際社会を構築する実践。田尻先生は生徒一人ひとりのくらしに立脚した英語教育の可能性。菅先生は教育現場から文科省への殴りこみ? 高橋先生は三人の先生方の教育実践の理論的分析と日本の英語教育の新たな実践的課題。と自分なりにとらえました。(帯広、学習塾経営)
(2)自分の今置かれている状況のせいか、私にとっては今回は「ゆかいな仲間たち」の先生方の言葉が精神面ですごく感銘する内容でした。特に、最後のジョイント・トークのところでは、思わずメモをとりたくなる言葉がたくさん。「教師ってなに?」「教育ってなに?」「授業って?」「生徒って?」ということをすごく考えさせられました。司会(メイン?)をされた小畑先生の笑いを誘う部分は同じ関西人の私も驚きでした(帯広の人たちにも受けてましたね)が、教育のお話も鋭かったですね。(大阪、中学教師)
(3)普段聞けないような貴重なお話を沢山お聞きできて、心底行って良かったと思います。一日で一年分の勉強に値するものでした。すごい諸先生方の面々で、学校に戻って後輩に報告すると大変驚いていました。技術的なことは当然ながら、あそこにいらした先生方は教育に対しての情熱や一生懸命さを感じます。やはり、情熱を持って行動していらっしゃる方は目が違うなと感じました。ビリビリと熱いものが伝わります。また、肩書きなどに関わらず、すごくフランクに、にこやかな雰囲気で、お話して頂いた事にも感銘を受けました。(釧路、大学院生)
ところで、吉田拓郎の曲に「祭りの後」というのがあります。イベントの後に漂う寂しさ、秋でもないのにセンチメンタルになってしまいました。

元気の素

今回の「ゆかいな仲間たち」は主催が実行委員会ということで、ジョイは場所を提供するだけだったはずなのですが、気がつくとスタッフとして働いている自分がいました。私はとにかく心配症なのでしょうか? それともただのおせっかいなのでしょうか? 
1番バッターで中嶋洋一先生の代打、筑波大学付属駒場中高等学校教諭の久保野雅史先生は、実力派でした。それにしても、さすが東大に入る生徒が多い高校だけあり、生徒のレベルの高いこと。こんなところで教えるのは、神経がすり減りそうです。
2番手に登場した超人気講師の田尻悟郎先生には、テレビ局が同行してきました! なんと全国放送されるそうです。と言うことは、少なくともジョイA館203号室のサインがたくさん書かれた「英語の壁」は全国に紹介されることになります!
3番手は、高校教師から文部科学省教科書調査官に転身した菅正隆さん。これまでの楽しい話術に文部省ネタが加わり、かなりパワーアップされていました。ヒゲの調査官として日本の英語教育を変えて欲しいものです。
トリの高橋一幸先生(神奈川大学助教授)は、3人の話をうまくまとめてくれました。そして、今年3月まで講師を勤めていたNHKラジオ「新基礎英語 I 」で使ったチャンツをちゃんつと使ってのセミナーは好評でした。
それにしても圧巻だったのは、ジョイント・トークの司会、小畑壽さんです。この人は何なんでしょうか? まるで大阪の芸人。本職は数学の先生ということですが、もう少し英語を勉強してもらうと、英語界の新しいスターになれるかもしれません。
「ゆかいな仲間たち」からたくさん元気の素をもらいました。稚内、函館、別海、紋別などから70名程度の中学・高校・塾の先生などが集まりましたが、半分は十勝以外からの参加者でした。十勝ももっとがんばらなくちゃ!

炉端のあかり

今日は「ゆかいな仲間たち」の御一行10名が、東京そして大阪から帯広入りしました。夜は田尻さんや菅さんの希望で、「炉端のあかり」での飲食となりました。ここは本州から来るゲストにとって一番人気の店です。
ところが、地元では意外と知らない人が多いのには驚きます。この店の周辺はまるでレトロの世界です。最近、昭和村とか大正村みたいな商業集積が流行していますが、この一角は作り物ではなく本物そのものです。店に一歩入ると創業50年という歴史がそこにあります。壁には所狭しとこれまで訪れた歌手や俳優の写真が飾られています。細川たかしや長山洋子はいいのですが、浜田省吾とヒゲの殿下の写真がなぜか場違いな感じがするのは、私だけでしょうか?
この店のお薦めの一品は、めんめ(キンキ)から作るスープです。とにかくこれは絶品です。魚を焼いて何十年というおばあちゃん、そしてその娘さんが絵になります。とにかくここは異空間なのです。そして、気をつけなければならないのは値段です。とにかく「20万両!」なんて叫ばれると、いくら払っていいか分からなくなってしまいます。
今回は私を含め12名で炉端のカウンター席を占領しました。おいしい焼き魚を食べ、楽しいお酒を飲み(なぜかここでは黙っていても私にはサイダーが出てきます!)、ダジャレいっぱいの会話を弾ませる。これ以上の夜はありませんね。いよいよ明日が本番です。でも、こんなに飲んで大丈夫かな?

悪循環

いつものCD店に行ってきました。もちろんお目当てはジャズのセクション。ところが、行くたびに棚が寂しくなっています。理由は、やはり売れないからなのでしょう。売れないから在庫を置けなくなる。在庫が少ないから魅力がなくなり、さらに売れなくなる。悪循環です。
最近は私の周囲でもインターネットでCDを買う人が増えてきました。これは既存のCD店にとっては大きな脅威だと思います。もうひとつの敵は、やはり大型店です。札幌や釧路には、郊外型の巨大な大型店があります。インターネットと大型店がこの分野をリードし始めたという構図は、ちょうど本屋さんと同じです。
私はとにかくCD店で時間を過ごすのが好きです。でも、店内に大音響で流れるチャリチャリした音楽には参ります。さらに嫌いなのは、店内を歩くといろいろな音楽が混ざってくるあの瞬間です。とにかく私には耐えられません。若者たちは携帯電話にお金を使いすぎて、CDを買えなくなったと言われています。そんなときに大事にしなければならないのは、私たちの世代なんです。静かなCD店をぜひ作ってください!
私が理想とするCD店は、むかし帯広にあった「サウンド・コーナー」です。小さくてもセンスのいい品揃え、そしていろいろ情報をくれるマスターがいる。もうそんなCD店は過去の話でしょうか? 寂しくなりました。それにしてもこの悪循環を断ち切らなければなりません。その対策のひとつは、やはり店員さんがジャズをもっと知ることです。期待していますよ、ネットショッピングが”技術的に”まだできない私は。

観光ガイド

今日の私は観光ガイドを勤めました。お客さんは、お世話になっている出版社に以前勤めていたHさんとお母さん。半日コースということで、「豊頃ハルニレの木コース」を選びました。
9時に2人をホテルでピックアップ、一路豊頃へ。まずは朝日堂でドーナツを買わなければ、このコースは始まりません。ところで、ここのご主人の岡本さん(元ジョイの生徒)は、占いで有名だということを知っていますか? Hさんは、今月末に嫁ぐ予定ということで、ビクビクしながら占ってもらうことになりました。岡本さんからの「大丈夫。相性はいいよ!」の言葉に、Hさんはご機嫌の様子。
その後、私の友人が経営するスーパー「アグリ」で缶コーヒーをゲット(注意:缶コーヒーでなければダメ。これが私のこだわりです)。これで準備完了。カーステレオから流れる神山純一さんが作曲した「はるにれの木」を聞きながら、はるにれの木へ。この木の持つ魅力でしょうか、2人ともそこを動こうとしません。お母さんは、野原に座り込んでしまいました。そよ風の中でドーナツを食べながら(3つも!)、ゆっくり木を眺めている姿がとても印象的でした。
そこへ観光バスに乗った帯広からの一団が到着。ワイワイガヤガヤ、木のところに来るなり「うれしい!」『木のパワーをもらいたい!」なんて言いながら木に抱き始めました。でも、5分もしないうちにみんな帰っていったのです! 価値観に違いに愕然としました。こんな素晴らしい環境も、人によっては思い入れが違うようです。
「こんなところで本を一日ゆっくり読みたい!」というお母さんの言葉からいいヒントをもらいました。そのうち「ハルニレの下で読書の日」というイベントを提案したいと思います。自分が好きな本とイスを持参し、はるにれの木の周囲でゆっくり本を読むのです。疲れた目をはるにれの木が癒してくれることでしょう。もしこの企画が実現したら、みなさんも一緒に行きませんか? やるなら、やっぱり読書の秋でしょう。
私がコーディネートした半日コースは、帯広に戻り豚丼で終了しました。2人はきっと帯広ファンになって東京に戻ったはずです。

菅正隆

「英語教育・ゆかいな仲間たち」の仕掛人、菅正隆先生(私は「菅さん」と呼んでいます)との出会いは1996年に開かれた北海道英語教育フォーラムでした。ジョイB館のバッキーホールは演芸場に早変わりし、異様な雰囲気に包まれていました。コテコテの大阪弁を話す男(菅さんは岩手県の出身ですが、大学が大阪でした)が笑いを誘っていたのです。当時はまだ大阪府立長吉高校の現役の先生でした。
菅さんのやることはとにかくスケールが大きいのです。教室から国際電話をかけたり、落語家を呼んで来たり、パエーリャを作ったり。でも、確実に英語嫌いの生徒の心を動かし始めていました。笑いあり、涙ありの、それはそれは強烈な英語クラスでした。
その後、大阪府教育委員会に入り教員研修などを担当していました。昨年、中学・高校教師向けセミナーの講師として大阪に呼んでもらった際、私は菅さんの違った側面を見てしまったのです。それは「きめ細かな配慮」「人に対する思いやり」でした。「ゆかいな仲間たちを帯広で!」という話が出たのは、そのときのことです。
今年の3月末に菅さんから届いたメールには驚かされました。大阪府教育委員会を辞め、文部科学省に入るとの内容でした。こんなに文部科学省を身近かに感じたことはこれまでありません。今回の「ゆかいな仲間たち」のサブタイトルは「6月11日帯広で何かが変わる!」です。菅さんには、帯広だけでなく、日本の英語教育を何か変えてくれそうな「悪寒」、いや「予感」がします。

田尻悟郎

私が田尻さんと初めて会ったのは1999年、場所は東京でした。私が教師対象のセミナー講師として東京でデビューした際、10名程度(もしかしたら、ゼロではと心配していました!)の受講者の中に田尻さんがいました。準備していった高度な問題を見事に答えられてしまい、「さすが東京はレベルが高い!」と思ったら、田尻さんは島根県からでした。
その年の夏、第7回北海道英語教育フォーラムの講師のひとりとして、帯広に来てもらいました。プログラムを見ると、特別講師でもなければゲスト講師でもなく、ただ普通の講師としての参加でした。そのときのセミナーのタイトルは「爆笑英文法で英語の基礎を身につける」と「発信する英語力の伸ばし方」。終了後、「時間配分がうまくいきませんでした」と反省している姿に、私は彼の真面目さを見た思いがします。それ以来、イーグルスのコンサートに行ったりして、交友を深めてきました。
最近、田尻さんの評価はまさにうなぎ上りです。日本版「ニューズウイーク」では、世界のカリスマ教師のひとり(日本人は彼ひとりでした)として紹介されました。昨年はNHKテレビ「わくわく授業」で全国的に大ブレーク。80歳になるジョイの最年長の生徒さんからは、「浦島先生も田尻さんを見習って、いい授業をしなければだめよ!」なんて叱られる始末です。
その田尻さんが「ゆかいな仲間たち」で6月11日にやってきます。6年ぶりのジョイのステージで(実際にはステージはありませんが)どんな話を展開してくれるか、本当に楽しみです。

我が家でバーベキュー

ついにこの日が来ました! 我が家でのバーベキューです。これまでバーベキューというと、デイビット家であったり、山田家であったり、長縄家であったりと、友人や知人の家でというのがいつものパターンでした。「我が家でバーベキュー」が私の長年の夢だったのです。このたび裏庭の塀も完成し、近所に気兼ねなくバーベキューを楽しむことができる環境が整いました。
庭にバーベキューのセットを準備し、12時の開始に合わせて11時20分頃から炭をおこしはじめました。それが12時になっても、炭がなかなか元気になりません。そうこうしているうちにゲストが集まり始めました。今回のゲストは、最初ということで身内が中心でした。我が家の4人、義理の姉と子供2人、おふくろ、そして妹夫婦、の計10名。
お腹をすかした4人の子供たちは、肉が焼き上がるまで待てません。すごい勢いで、おにぎりやコロッケ、ポテトフライなどに猛アタック。やっと火の具合がよくなった頃には、ほとんどがお腹いっぱい状態でした。でも、その間の子供たちの動きや声には参りました。子供たちが静かになり、ゆっくり食べることができたのは午後1時に遅れて到着した妹夫婦でした。
今回は帯広でも評判の肉店からカルビーやサガリを買ってきたのですが、私が一番美味しいと思ったのは何だと思いますか? 実は、肉ではなくイカやシシャモ、そして食後に飲んだ日本茶でした。バーベキューがやっとできるようになった今、私はもう肉より他の食べ物に好みがシフトしていたようです。なんと皮肉なのでしょう。「我が家でバーベキュー」作戦の実行が少し遅すぎたのかもしれませんね。

グリーン・サム浦島

我が家の庭も完成し、今日は私の記念すべきガーデニング元年でした!
まずは午前9時に花壇に植える花や家庭菜園用の野菜の苗を買うためにイノタニさんへ。今日と明日は特売でほとんどの商品が30%オフでした。すごい人手で駐車場のことが心配でしたが、タイミングよくセーフ! 私は「演芸」は好きなのですが、「園芸」はまったくの素人です。そんなことで、おふくろを連れていたのがいい判断でした。いろいろ教えてもらいながら、効率よく選ぶことができました。
10時半ごろおふくろの家に到着。先日からの懸案事項だった花壇のふちに赤レンガを積むことにしました。実は、このレンガは私の家の玄関へのアプローチと花壇に使ったのですが、なんと300個近く余ってしまったのです。積むといってもセメントで固めることはしないで、そのまま並べたと言った方が適切かもしれません。
午後1時からはふたたびおふくろに協力してもらい、買ってきた苗を我が家の花壇に植えました。肥料のやり方などを習いながら、3時間近くかけ、花はバラ、家庭菜園はレタスを中心に我が家の第1期園芸プロジェクトが無事終了。とにかく疲れました。そして、夕食が本当においしかった!
みなさん、これから私を「グリーン・サム浦島」と呼んでください。みちろん、このgreen thumbという表現は知っていますよね? 知らない? では、ここでワンポイント英会話。「緑の親指」とは、「植物を育てるのがうまい」という意味です。ですから私の場合は、I have a green thumb for roses.(私はバラを育てるのが上手です)なんて、来年には言っていることになっているでしょう。なんちゃって。そんなに現実は甘くないか。明日は裏庭でバーベキューです!

フォニックス

遂に昨日で連続記録を断念してしまいました。松香洋子先生の講演会の後、帯広のエキサイティングな(?)夜の町にくり出し、家に戻ったときには12時を回っていました。残念無念! なるべく早く帰ってブログを書きたかったのですが・・・。事前に準備しなかった私の作戦ミスでした。
松香先生と言えば、フォニックスですが、みなさんはフォニックスを知っていますか? フォニックスはもともと、英語圏の子どもたちが本を読めるように開発された指導法です。松香先生はアメリカの大学院で学んでいたときに、このフォニックスと出会います。そして、26年前に松香フォニックス研究所を設立し、日本人向けにフォニックスの教材を出版し始めました。今では本だけでなくビデオやDVDといろいろな形で発売されています。
私も中学1年生のときに単語の発音が分からず苦労しました。そして、なかなかスペルも覚えることができませんでした。スペルと発音の関係が理解できなかったからです。あのとき松香先生の教材があれば、あんなに悩まなくてもよかったもしれません。
それにしても松香先生は元気です。昨日は午前様で、今日は朝から車で鹿追へ。鹿追では、授業見学、講演、参加者との意見交換会に精力的にこなし、その後、新得から列車で札幌へ。札幌では2日間にわたり講演やシンポジュムの中心的役割を果たすというのですから、これは松香フォニックスというよりは、松香フェニックスかもしれません。

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