ジャッキーに感謝
デイビットの両親が3年ぶりに帯広に来ています。なんと10回目の帯広とのこと。こんなに帯広を訪ねて来る外国人は彼ら以外にいるでしょうか? そろそろ名誉市民の称号をやってもいいのでは、なんて勝手に私は考えています。
実は私とデイビットを結びつけたのは、お母さんのジャッキーでした。それは帯広が開基100年を迎えた1982年のことです。この記念すべき年に、姉妹都市のアラスカ州スワード市から約60名の市民がやってきました。WRCなどで外国人には今や慣れっこになってしまった帯広市民ですが、当時は大騒ぎでした。
帯広リードオーケストラ、帯広アドニス合唱団、千葉由雄とノーチェ・アミーゴという帯広を代表する音楽グループとスワードからのハイスクール・バンドが共演して、記念のコンサートが開催されました。このとき私は生まれて初めて英語で司会を担当! そして、指揮者のボブ・リチャードソンと知り合ったのです。ちょうどその頃、ハリーさんに代わる外国人講師を探していたこともあり、ボブに適任者を見つけてもらうよう頼んだのでした。
スワード市民が帯広を離れる日、見送りに行った空港で、ボブは「もう、見つかったよ」と笑顔で私に言うのです。そして、現れたのがジャッキーでした。「まさかこの人が?」と一瞬驚いたのですが、「私の息子、デイビットがいいと思うわ」という言葉を聞いて、私は安心しました。人との出会いは偶然、そして突然やってくるものです。
私はジャッキーと話して、この人の息子なら間違いないと確信しました。そして、1週間ほどして届いたデイビットからの手紙には、「日本に住んで働くというこの機会は逃すべきではない!」と書かれていたのです。彼が帯広にやって来たのは、1983年3月13日。あれから22年以上の月日が流れました。デイビットは私にとって一番大事な仲間です。そして、その彼と引き会わせてくれたのがジャッキーでした。